2014年1月4日土曜日

「悟り」とはなにか

新年が明けて、少し遅れることはあったもののブログを更新してきた。

しかし、今日は一日中家にいたこともありネタがない。

起きたのも遅かったし、何より日本語で書いたあとにそれを英語に訳してLang-8にもアップしているので、やたら時間がとられるからだ。

慣れていないせいもあり、日本語で書くだけでも手間がかかるのに。

そういうわけで、今日は大学院へ戻ったあと研究したいと考えている内容について書こうと思う。

先日、奈良先端技術大学院大学の研究室を訪問した際に、研究したい内容が漠然としすぎていると言われそのあと、もう少し良く考えてみた。

自分がやりたいのは、少し恰好よくいえば「悟りの研究」である。

「悟り」と大げさに言ってしまったが、もう少し平易な言葉を使えば、「理解した」、「納得した」、「腑に落ちた」、「わかった」というような状態の研究である。

自分は大学、大学院と数学を専攻していた。

数学を選んだ理由としては三つある。

一つ目は発想の自由さ、二つ目は論理の厳密性、そして三つ目が自分自身の口喧嘩が弱いというコンプレックスだった。

これらももちろん嘘ではないのだが、もう少し掘り下げると、「なぜそういう風に考えるのか」ということを知りたくて数学をやっていたという結論に以前達している。

問題を解くことや、美しい結果を知ることは楽しかったが、数学的な真理を探究すること自体にはそれほど興味がなかったようである。

そのかわり、先ほど原因の一つとして「口喧嘩に弱い」ということを挙げたように、「なんでわかってくれないの!」であるとか、「わからずや!」といったことがずっと根本的な疑問としてくすぶっていた。

また時折自分の思考や行動などを分析的に振り返る際に、「なぜあのときは納得してしまったんだろう」と思うことがあったりもした。

それは他人に対しても同様で、「なぜそんな馬鹿げたことを納得してしまうのか、受け入れてしまうのか」といったことを思うことがあった。

それらがわからないため、唯物論的存在としてしか認識していなかった人間を、わけもわからずただただ複雑な存在として感じていた。

今では単純に唯物論的にみるといったことはないが、複雑な存在だと感じ不安になることはあるので、先に述べたようなことを研究し、自分の不安や違和感を取り除くと同時に、新しい発見をし社会に貢献をしたいと考えている。

具体的に研究したい内容としては、「わかった」という状態が、脳の状態としてどのような状態なのか、またそれを計算論的に定義できたとして、現在開発されているアルゴリズムは「わかった」という範囲に含まれるアルゴリズムなのか、またそうでない場合、「わかった」という状態で処理を行った場合、処理の効率性はあがるのか。

またそれを人間の脳にフィードバックをし、より速やかに「わかる」ようにするにはどうすればいいのかも研究をしたいと考えている。

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