2014年3月30日日曜日

プロ野球開幕

一昨日、ついにプロ野球が開幕した。

特別野球に興味があるというわけではない。

父親が野球好きで、読売新聞に関係する仕事をしていることもあり、昔から巨人の話題ばかりに触れてきた。

だから、我が家では、興味の有る無しに関わらず、野球の話しをするときには、巨人を中心として語られることが多い。



自分は、昔は「巨人ファンだから巨人のナイター中継をみている」ということと、「巨人のナイター中継をみているから、巨人のファンなのであろう」ということを混同していたので、どこのチームのファンか聞かれると、巨人ファンと答えていたし、自分でもそうなんだろうと思っていた。



ある種の洗脳に近いと思う。今でも若干、その癖がまだ抜け切れていない。



特に、チームとしてどこのファンかというのはない。

それでもやはり、強いて言えば巨人ということにはなるのだが。

他の球団でもいいのだが、なんだかわざわざ他球団のファンの宣言をして、その理由を求められたり、家族の人達からちょっと変わった目で見られるのも面倒だからだ。



特定のチームというより、ペナントレース全体のドラマのなかで、応援したいチームが出てくるという感じだ。


どちらかというと、チームとしてより、選手個人としては好きな人はいる。


引退した人もいるが、野村監督、川相、古田、工藤、井端、ダルビッシュ、イチローなどが好きだ。


多分、メディアに取り上げられることが多かったから、印象に残っているのだろうが、共通点がなにかというのは、自分でもいまいち分かっていない。


多分なにか、哲学を感じる人、職人気質の選手が好きなのだと思う。

『カイジ2』

週末には、DVDで映画もみた。


今回みたのは『カイジ2』


前作は見たことがあり、続編も気になっていたが、やっと見れた。


こっちの方が好きかも。


話がまとまっている気がする。


「沼」というイカサマパチンコ台をどう攻略するかというストーリー。


いわゆるパチンコ台のハッキングをする過程を描いていて、それ自体個人的に好きだし、それに加え、みんなの力を合わせる姿とか、結集していく姿を描いているような姿も好き。



しびれたポイントをいくつかあげるなら、3択から選んでボタンを押す場面で、利根川が予め張っておいた伏線でヒントを与えたところ。


それと、最後のパチンコ台での最終決戦が泣けた。

2014年3月29日土曜日

表参道でお茶をしました。

今日は友人とお茶をしてきました!


気になっているお店が表参道にあるとのことで、一人では行きにくいので一緒に来てほしいとのことで誘われたので、行ってきました。






土曜日で、しかも学生は春休みということもあってか、表参道は混んでいる。。。


yokumokuというお店に行く予定だったのですが、こちらも混んでいて30分待ちとのことだったので、諦めて別の場所でお茶をして過ごしました。


それにしても、表参道のカフェというのは敷居が高い。。。


外から眺めた感じでも気軽に入れる雰囲気でもないし、そのうえ実際に入店してみてお客さんの層を見てみてもそれなりに裕福な人が利用している様子。


カフェに限らないですが、席を待っているお客さんとかに、「え、お前がこの店入るの?」的な視線が、苦手です。。。




かわりに入ったカフェが椿屋カフェ




こちらで、自分はモンブランを食べました。


おいしかったー!



今度誰か、yokumokuとか行く機会ある人は誘ってください。



途中でこんな一枚も撮れました。




普段、一人ではまず行かない表参道を散歩できて、少し優雅な気持になれた一日でした。

2014年3月26日水曜日

コミュニケーション能力



自分は基礎的なプログラミング程度はできるが、どちらかというとプログラミングはできない方に属する。


そんな自分であるが、この記事を読んで感じたことや最近思ったことを書こうと思う。


多分記事の内容とはすこしズレるかもしれないが。



よく、例えとして「コンピュータと戯れる」といったりもするが、あながち的外れでもない表現だなと思う。「戯れる」だと堅いのであれば、「イチャつく」とか「触れ合う」、とか「仲良くする」でもいいかもしれない。



プログラミングの習得するには、よく言われるようにとにかく自分で打ってみることが重要だ。


そして、何度も失敗し学んでいく。そして、コンピュータとコミュニケーションがとれるようになっていく。



プログラミングの場合には対象がコンピュータというだけであり、やっていることは人間相手の場合と似ていると思う。



一昔前は、記事にも書いてあるように、プログラミングは一部のコンピュータオタクがすることであって、10代や20代の若者が学ぶこととは思われていなかった。いわゆるリア充と言われるような人達がやることではなかった。



いわゆるコミュニケーション能力が高い人というのは人間同士のやりとりをする場合のコミュニケーション能力を身に付けた人達である。


やはり人間同士の間でも、相手を傷つける言葉を発してしまったり、誤解を招く表現をしてしまったりすることがある。



プログラミングでいうところのエラーを何度も経験することで、うまくコミュニケーションする術が身についたのだろう。



コミュニケーション能力のある人達がそのようにして術を身につけたのとどうように、いわゆる一昔前のオタクと呼ばれる人達はその時間をコンピュータとの間でコミュニケーションができるように使ったので、今、エンジニアとして活躍しているのだろう。



人間同士のコミュニケーションやプログラミングの例に限ったことではないが、そのスキルに日が当たるのかどうかはともかくとして、費やした時間に対して扱うスキルがあがるというのは当然のことだと思う。


そんな自分はプログラミングに興味はあるが、とてもプログラミングができると言えるようなレベルではないので、もっと訓練をしようと思う。

2014年3月24日月曜日

『春』

すっかり春の陽気であるが、これを書かずに春は迎えられない。

自分は縁があり、シューマンの交響曲1番「春」を既に2度演奏する機会に恵まれた。


一度は高校のときで、二度目は大学のときだ。

情景的な曲で、好きな曲だ。



ウィキペディアより。






特に一楽章の前半と、四楽章が好きだ。

一楽章は、序奏から提示部までで、冬から春の訪れまでを表現している。

激しいブリザードからはじまり、ブリザードがおさまったあとは、すこし穏やかな冬を時間が流れる。そしてそこから徐々に雪解けがはじまり、植物や生き物たちも目覚めだし、春のお訪れという一点に向かって、無限に収束していく。そして、提示部で春の喜びが存分に表現される。


自分はこの曲は真冬に聴くのが好きだ。

「今は寒さで厳しいけど、この寒さもいづれ収まる。もう少しすれば、徐々に暖かくなり、そこまでくれば一気に春の陽気だよ。もうすこしの辛抱だから頑張ろう!」

そういう風に思わせてくれ勇気がもらえるからだ。



四楽章は、最後が力強く期待感あふれる終わり方なので、個人的には春が終わったあとの夏へ向けた期待感のようなものが表現されているのではないかと思っている。

これはこれで好きだ。春というと日本ではなにかと環境が変わる時期。不慣れだった環境にもなれてきて、解放感あふれる夏になると、一皮むけるチャンスがあるのではないか。自分はそのような夏のイメージをもっているから、この曲がそういう風に聞こえるのだと思う。





ちなみに初演のときは、各楽章にタイトルがついていたそうだ。

一楽章:春のはじまり
二楽章:夕べ
三楽章:楽しい遊び
四楽章:たけなわの春

三楽章は楽しい遊びというタイトルだが、自分はどちらかというと危険な遊びというイメージをしてしまう。

スケルツォの部分からなのだが、この部分が、ナイフをもって追いかけっこをしている。しかもそれが塀の上で。

どこで下に降りるのかはわからないけど、最後は追いかける側がナイフを突きたてようとした寸前のところで、追いかけられる側は塀の下に空いた小さな穴に滑り込み、ナイフが刺さるのをかわすというイメージだ。

こんなイメージではとても楽しい遊びとは言えない。

1楽章



2楽章



3楽章




4楽章


前進

とても天気がいいにも関わらず、三連休は特別外出せず、基本的には家にこもっていた。

普段、平日にやろうやろうと半ばノルマのように課していることができていないので、それをこなそうと思ったのだ。


ノルマがこなせないと、前進していないように思えてきて焦りだし、そしてその焦りから他のことに目移りしてしまう。


ノルマをこなさなければいけないとは思いつつも、この三連休で思いっきり目移りをしつくした。

やりだすときりがないが、大体八分目ぐらいは遊びつくしたので満足だ。


が、一方で興味が分散しまくり、それはそれで知識はついたのではあるが、本質的な意味で前進をしていないなと感じてしまう。

たてた目標をクリアしたわけでもなく、ただ時間を無駄に使ったと感じてしまう。


年初めの初心にもどり、やはり地道に日課をこなしていく。

日課になれば、そのうえで新しいこともできる。

そうすることしか不安を解消できないのではないかと思う。

2014年3月23日日曜日

文法書

先日のことになるが、英語の文法書なるものを買ってみた。

いわゆる文法書といっていいいのかは微妙なところであるが、なかなか面白い。



                  TOEFL対策 完全英文法

中学校以来文法をやっておらず、それ以降は多読(と多聴)と、最近はLang-8をやり始めてアウトプットをしたりと適当に英語に触れ続けてきた。

なので、熟語とかもあまり知らず。中学校レベルプラスアルファといった感じ。

いざ、英語で表現しようとすると、どう表現するのか迷ったような経験を何度したので、文法書というものをみてこういう表現があるのかと感動した。

そして、仮定法とか時制の一致とかも、高校以来ずっとわからずに放置していたのだが、今更少しわかった気がする。

それでも完全に身につくまでにはまだまだかかりそうである。

残業

いい年をして、未だに残業の取り方がよくわからない。

今まで幾つかの職場で働いてきたが、基本的には残業がないという職場だったせいもあると思う。

それと派遣社員であること。




今までやってきた仕事はコールセンターの仕事が多く、退勤間際に面倒な電話などに当たらなければ、残業なしで退社できた。

そのような電話対応以外で残業をしようにも、残業をしてまですることがない。




もっと言ってしまえば、未だに派遣という働き方がいまいちわかっていないし(システムの問題ではなく)、さらに時給制で働いていることにも引け目を感じている。

時給制で働いており、(時給制に限った事ではないが)タイムカードで勤務時間を管理されている。

残業をするということはその分、時給が発生してしまう。

残らないなら残らないでも、特別大きな問題は発生しないのに、わざわざ残るというのは、時給のためと思われるのが嫌なのだ。

残って、自主的になにか作業をしたからといって、なにか貢献できるわけでもない。

そもそも、なにか作業をする以上、おそらく慣れない作業をするのだからどれくらいの残業で済むのかもわからない。

そんな状態で残るのは給料泥棒と思われてしまわないだろうか。




そんなことを思うのは、多分自分の目指す方向とズレているからではないかと思う。

半分趣味・・・そんな仕事はないか。でも仕事をしているという意識を持たず打ち込める仕事をやっているのであれば、そんなことを考えることもないのだろうか。

そういう場合は、残ってでも仕事をすることがとても楽しいのだろう。

ズレている場合には、残らなくても特に大きな問題は発生しないので、給料泥棒になるのではないかという杞憂を、さっさと帰宅し自分の時間を過ごすための言い訳にしているのだろう。

ましてや、給料がなくても構わないから残ってでも作業をしたいとはいうはずがない。

ちなみにそれなりの規模の会社でタイムカードなどでの管理がない会社はあるのだろうか。

中小企業であれば、そういう会社もあるだろうが。実際、自分が過去に働いた職場でタイムカードでの管理がない会社もあった。

逆にいえば、タイムカードで管理されているからこそ、労働時間に対して給料がきちんと払われているかどうかを証明できて、万が一の場合でも雇用される側は守られているのだが。




これが正社員のような固定給で、自己の判断の裁量がもっと大きい立場であれば、話は変わってくるのだと思うが、どうだろう。

そういう意味では、雇われの身より、自営業のような形態も気楽でいいなと思えてくる。

もちろんそういう側面に関しては、ということだが。総合的にみたら、会社員より大変かもしれない。

2014年3月22日土曜日

『天国へのカウントダウン』

昨日に引き続き、もう一本映画をみました!

こんなに天気のいいのに、外出もせずDVDをみている自分って。。。

タイトルにもある通り、名探偵コナンシリーズの『天国へのカウントダウン』を見ました。

以前一人暮らしをしていたころに、シリーズ後半の作品はまとめてみたのですが、『天国へのカウントダウン』とかその前後の作品はみていませんでした。

ずいぶん昔に映画館でみたような記憶もあるのですが、最後に車でプールに飛び込むぐらいしか覚えておらず、それ以外どんな話だったか覚えてないので改めて見てみました。

最後に車でプールに飛び込むというシーンは覚えていたのですが、なんでそういう経緯になったのか忘れてしまってもやもやとしていたのですが、スッキリしました!

そして、最後のカウントダウンのシーンはしびれました。

車で隣のビルへ飛び移る提案をするコナン、冷静に計算して可能かどうか分析する灰原、そしてそれを想定済みの上で提案をしているコナン。

このあたりも好き。

ストーリとしては、日本画家の先生の殺人計画と黒づくめの男たちの殺人が偶然にも絡んでしまったという話。

日本画家の先生は先生で殺人の計画を立てていて、殺そうとしていた人を予期せず先に黒づくめの男たちに先に殺されてしまい、それをうまく利用して連続殺人にみせかけ、一方で自分にはアリバイをつくり自分を容疑者から外す。

爆発関係は黒づくめの男たちの仕業。

黒づくめの男たちが殺したプログラマーの男が持ち出した極秘情報をPCごと破壊するため、それと灰原がツインタワーにくることをたまたま知ったので、ついでに爆発で始末するため。

その爆発のせいで、いろいろ退路を経たれ奮闘するという話で面白かったです。

『天国へのカウントダウン』の他に、古い作品だと『ベイカーストリートの亡霊』と『銀翼の魔術師』が微妙に覚えてないので、今度みようっと♪

『インシテミル』

久しぶりに映画をみた。といっても映画館ではなく、DVDで。

何年も前の映画を含め、気になっている映画は何本もあったので、その中の一本『インシテミル』をみた。




公開していたときは、それなりに話題になっていたような気もするし、自分のまわりの友人も何人か面白いと言っていたような気もする。

しかし、個人的には・・・微妙だった。


心理実験のバイトを行ったのだが、結局最後まで、実験の目的がわからず。

起承転結の起伏もあまりなく、全体としてどうもメリハリがないように感じた。

閉鎖空間の中に10人が7日間閉じ込められ、その間に色々事件(殺人事件)が起こる。

その事件に対し、探偵役を決め、犯人を多数決で決めていくという設定だったはずなのに、途中からルールはどこへいったのやら。




ただ、演出については考えながらみた。

物語は車で心理実験の会場に向かっているところから始まる。

特に説明もなく、少し進んだところから始まるのだが、そういう構成の仕方も定石の一つでよくあるパターンだ。

ちょっとストックとしておこうと思う。


続いて、車中で登場人物について、行動の描写を一人一人カメラワークで映していく。

あえてセリフでの説明はないので、想像力をかきたてられる。これも演出か。



実験の会場に入ってからの場面では、テーブルの上から登場人物を映しているシーンがある。

これもなにか独特の効果をもたらすカメラワークなのではないかと思う。

多分、監視をしている感じを出す効果ではないか。



起承転結という点から言えば、一人目の死亡からが承、二人同時に死亡し、携帯電話で映像が配信されているシーンの部分から転だと思うがどうだろう。


一人目の死亡の時点で、多数決をとる際に、綾瀬はるかが演じている役が反対に票をいれれば4対4でドローになる場面がある。

そこで、綾瀬はるかは棄権をするのだが、なぜドローにするのか、その時点では疑問だった。

映画をすべて観終わってから、考えてみたらわかった。

綾瀬はるかは、実は主催者側の人間なので、あそこで反対に一票いれドローにしてしまうよりは、棄権をして誰かを投獄したほうが面白くなるだろうから棄権をしたのだろう。

そして、また展開を動かすために、投獄された人を解放するのも綾瀬はるかなのだが。



偶然性とはなんだろうか。

この映画に限らず、物語というのはどのように進むのかいつも気になっている。

よく、偶然の出来事を用いて、展開をさせるのはあまりよろしくないとはいうが、偶然性とはどういうものなのだろうか。

例えばこの映画で例を出すならば、

(一人目が死亡する前のかなり前半の方で)

お酒があることを発見するシーン。

ミステリー小説があることを発見するシーン。

(消灯後初めて部屋にいった際)

隠しカメラを発見するシーン。

凶器を発見するシーン。


読んでいた小説が下巻に続くとなってしまうシーン。
(その後下巻をとりにいくため、消灯後に部屋をでて殺されてしまう。)

ガードの巡回周期についての提案。



これらは偶然性とはいうのだろうか。


2014年3月13日木曜日

ケニーウォーターズ事件

ケニーウォーター事件という事件について、アンビリボーで紹介していた。

調べてみると映画にもなっているらしい。

殺人の冤罪で刑務所に入れられた兄を救うため、高校も卒業していないようなまったくの0から弁護士をめざし、18年かけて無実を証明したという話。

このような、途方もない道のり、そしてその先に道があるのかどうかもわからず結果がどうなるかわからず、それでも、耐えて耐えて進んでいく話はとても勇気がわく。

そういう話としては、他にこんなものがある。



例えば、漫画「20世紀少年」で、オッチョが海ほたる刑務所から脱獄するエピソード。

海のど真ん中に刑務所があり、通常の収容室よりさらに奥の独房で、しかも他の独房囚より厳しく両手両足を鎖で拘束されているオッチョ。

そんな状態から、スプーン一本で脱獄を試みる。

ちなみに、この状況だけでも十分絶望的な状況ではあるが、外の世界はいわゆる悪の組織が大衆を洗脳して支配をしている。

脱出して、さらにこの正義と悪を逆転した世界をもとに戻そうというのが最終目的だ。

普通に考えたら、ほとんど絶望的で希望もない状況だが、心が折れる事なく、歩を進めている。

ここの部分のエピソードに限らず、この漫画はどのエピソードもそのような感じではあるのだが、海ほたる刑務所の部分が一番勇気をもらった。



それに、石井裕教授の人生の話も好きだ。

MITメディアラボの副所長として活躍しておられる方。

NTT研究所時代には、メンテナンス(?)のような作業ばかりやらされていたらしく、業務後に自分の研究や論文の執筆をつづけていたとのこと。

それが、ある日パーソナルコンピューティングの父と言われるアラン・ケイの目にとまりMITに招聘される。

この先は先でまた大変な道のりではあるのだが、評価されるのかどうかもわからないという、先がわからない状況でも心が折れずに、自分の研究を続けたのはすごいと思う。



天皇陛下の手術の執刀をしたことで有名な天野篤先生もすごい。

三浪して医学部へ入ったが、卒業後もかなり苦労をしたようだ。

それでも、人より努力をして、その結果として今では日本屈指の外科医となっている。

詳細は検索をすればいくらでも出てくるし、本も何冊か書かいるれているようなので省くが、この場合、そもそもスタートラインが後ろの位置から出発して、そしてゴールなどというものがなく、しかも先があるのかどうかもわからないという状況なのに、努力を継続している。



このような人達のエピソードのように、鉄のような信念・哲学をもちたい。そして、日々一歩一歩ではあるが前進あるのみ。

2014年3月12日水曜日

ツンデレ

アニメなどを見ていると、ツンデレも魅力的に感じるのだが、実際にツンデレに接するのはなかなか大変だと思う。

デレがあるとはいえ、ツンがあるというのが苦痛に感じるなと最近思った。

ツンだと接しづらいし、「自分がなにかした?」を思ってしまう。自分に自信がないからなおさらそう思う。

起伏が激しいよりかは、いつも優しい人が、実際に関わる場合には好きかもしれない。

ツンデレというのは、アニメやドラマで、あるいは第三者的に傍観しているのが一番魅力的なのかもしれない。



ツンデレというと、まず連想するのは「涼宮ハルヒ」である。

ハルヒ、長門、ミクルの中では、ハルヒかミクルが好き。

ハルヒもアニメとして、キョンのとのやりとりをみている分には楽しい。が実際に関わったらとても疲れそうだ。

そういう意味ではミクルが一番好きかもしれない。理由はあえて書かない。



自分は2年ほど前に札幌で一人暮らしをしているときに、突発的に見たくなり、youtubeとDVDを借りてきて映画まで全て観た。

好きな回は、

エンドレスエイト、ライブアライブ、射手座の日、サムデイインザレイン

あたりが好き。

射手座の日は、長門のスキルアップのスピードが異常なのと、途中から流れるチャイコフスキー第4番4楽章がとてもかっこいいので好き。

サムデイインザレインは、本当に何気ない平和な日常を描いていて、これはこれで好きだ。

2014年3月11日火曜日

3年の月日~まだともう~

あの日から3年になるらしい。東日本大震災のことだ。Googleのトップページにも表示されている。


みんなそれぞれ、その日にいた場所は違うが、その日に何をしていたのかは覚えている人がほとんどだと思う。


自分の場合、その日は就職活動で面接の日だった。


墨田川の近くにある某企業で、面接の順番待ちをしていた。


比較的和やかな会社で、控え室で社員や他の就活生と雑談しながら、待機していた。


いきなり揺れ始め、様子を見ているうちに、ビルの高層にいたせいもあるが、かなり揺れが大きくなったので、これはやばいと思い机のしたにもぐりこんだ。地震がきて、机のしたに入らなければと思わなければならないことは初めてだった。かなり怖かった。


その後、ビルの高層だからあれだけ揺れたのだろうと思っていたが、交通状況をみると、全く機能していない。待機していた人達も全員面接が終わるも帰る手段がないために、夜まで控室で様子を見ていた。中には泊まる人もいた。それを見ているうちにいよいよただごとではないぞ、と思うようになった。


電車が動いていないため徒歩になるので、帰るかどうか迷ったけれども、大体の所要時間が計算できて、大変ではあるけども、歩ける距離だと思ったので歩いて帰宅した。徒歩約3時間である。


控え室で交通情報をみていても事の重大さはわかったが、実際に町を歩いてみると、より実感がわいてきた。


道路はどこも渋滞、歩道も混雑、バスを待つ列が長い、駅では座り込んで休み人が多い。




あれから3年である。もう3年なのか、まだ3年なのか。人によって違うだろう。

自分は、まだ、と、もう、が混在している。

どういう場面では、どっちに感じるか。

例えば、原発関連のニュースをやっているときには、もう3年と感じる。

一方で、被災地の復興のニュースなどのときには、まだ3年と感じる。
今回の東日本大震災は大変な災害だった。それは間違いない。しかし、他の災害と比較してどの程度大変なのか。
また、復興というのに通常はどれくらいかかるのかという目安がわからない。想像している以上にかかるのだと思うが。
そういう前提からニュースをみていると、まだ3年にしてはずいぶん復興が進んでいるという印象は受ける。物理的な意味だけでなく、心理的な意味でも。

こういうこと書くと、揚げ足を取ってくる人がいるかもしれないので、念の為に書いておくと、TVのニュースという限られた情報から判断する限りという意味だし、もちろん復興への問題などはまだ山積していることに変わりはない。

だけども、まだ3年しか経っていないのに、なんとか生き抜いているという意味で、人間の力はすごいなとむしろ感動している。


一方で、自分自身に目を向けるとどうだろう。

もう3年か、早いな、という感じである。

3年前と時点と続きで今がある。そういう意味で、ついこの間のような気がする。

しかし実際は3年という月日が経っているのだが、その間に自分はどれだけ成長、前進できたのであろうか。少し不安になる。

日々目の前のことでいっぱいいっぱいで過ごしているツケかもしれない。




まだともう。どちらに感じるかと、現象に対してどの程度の距離感で認識しているか、ということにはどのような関係があるのだろう。




このように、改めて過ぎた月日を認識させられると、一日一日をどれだけ適当に過ごしているか、ということを痛感させられる。

2014年3月9日日曜日

レシートから見えるデータベースの世界

最近データベースの具体例を探すことがマイブームだ。


というのも、以前データベースというものを勉強してみたことはある。


大抵、一番最初にデータベースの例というものが挙げてあるのだが、とても例示としてのとても簡略なものであったり、使われているシチュエーションだけを単に列挙しているだけの場合がほとんどだ。


どうも、イメージとしてわかるようなわからないような、実感として理解できなかった。


はっきりとしたきっかけは忘れたが、確か航空券かなにかをネットで予約したときだと思う。


確認番号であるとか、予約番号のようなものがメールについてくるのをみて、身近にデータベースの例は本当にたくさんあるではないかと気付いた。


それ以来、食事や買い物をしたときのレシートに注意をしてみるようになった。


個人情報に触れない程度で、いくつか手持ちのレシートからピックアップをしてみる。


例えば、クレジットカードの控えを見てみる。

加盟店名
加盟店電話番号
端末番号
利用日
伝票番号
会員番号
取引内容
支払区分
取扱区分
カード会社
有効期限
金額
合計金額
売り場
担当者

が項目としてある。



飛行機の搭乗券であれば、
出発日
便名
出発地
到着地
出発時刻
搭乗口
座席
照会番号
(それと一番下にはなにかよくわからないコード)

となっている。


コンビニの領収書であれば、
コンビニの名前(ロゴ)
店舗名
店舗住所
店舗電話番号
購入日
購入時刻
購入物(とその金額)
合計金額
消費税額
点数
預かり金額
おつり
レジ番号
担当者
であった。


その他にも、駅のロッカーの利用控えや、ATMの利用明細、郵便局のレシートなどももっていていたが、それは省略する。

こういうものを眺めていると、データベースというものが至る所で使われているのだなと改めて思う。

レシートに出てくるのは、顧客側で確認できる情報で一部の情報ではあるが、各項目をみていくと、バックでどのようなシステムで管理をしているのかということにも想いを馳せてみるとなお楽しい。

2014年3月8日土曜日

かつての同志と。

一時期ではあるが、何を血迷ったか演劇のレッスンを受けたことがある。

その頃、一緒に稽古を受けていた友人とお茶をしてきた。



東京に、しかも渋谷からほど遠くない場所に住んでいながら、初めてヒカリエへいった。

土曜日ということもあって、混んでいた。



誘われたのは昨日だ。

しばらく関わりがなかったので驚いたが、近況を聞いてみたかったので、会ってきた。

基本的に、金銭的に不足がちではあるので、自分からは食事の誘いはしない。しかし、誘われれば行く。



現在は二人ともレッスンなどは受けていない。

相手方は一年程前、自分は一年ほど前、4月に初めて舞台の本番に出演し、それを機にレッスンは辞めた。



なぜレッスンを辞めたのか、それからどうしているのか、これからどうしていくのか、(同じ年齢なので)今思っている事、などをいろいろ話した。

その中で、現在の仕事について話が及んだ。


以前にも書いたが、自分は現在の仕事は正直、嫌で嫌で仕方がない。

毎日、一日が終わると辞めようか迷っている。しかしあと一日だけ頑張ろう、と思いながら次の日を迎える。

そして一週間が終わると、今週も終わったと思い、来週一週間だけまた頑張ろうと思い週末を過ごす。

一週間の気分としては、月曜日が一番憂鬱だ。

そこを乗り切れば、あとはなんとかなる。

水曜日が終わったあたりで、気が楽になり、あと二日だ、と思う。

そして木曜日が終わればあと一日だから頑張ろう、と思う。金曜日には、今日一日頑張れば明日は休みだから頑張ろう、と思い一週間が終わる。



就職活動をしていたとき、企業の人達が、本当に活き活きと使命感にあふれて働いているのか疑問だった。

結局就職活動に失敗し、しばらく自分の進路が決まらず迷走をしていた。

今でも、職を選ぶ基準や働く動機についてはわからないというとこが正直なところではあるが、今日の会話で一つヒントのようなものを得た気がする。


一つはストレスすらも快感に思える仕事だ。

例えば、仕事である以上、また自分の自己実現でもある以上、期日というものがある。

そのような期日以外にもストレスの要因はいろいろあると思うが、それは乗り越えることによって一つ前に進んでいることの証明にもなるので、充実感が感じられるのではないかと思う。

ただ、今の自分の仕事について言えば、ただ単にストレスでしかない。

もう一つは、お金の心配がなくなっても、やりたいと思う仕事だ。

こちらは、そのままの意味だ。例えば突然大金が手に入ったり、あるいはあと一日しか生きられないとしたときにやりたいことは何か。



二つとも、昔から自己啓発本で言い古されてきたようなことではあるが、改めて自分の身に置き換えてみると、意味がわかってきたような気がする。

2014年3月6日木曜日

奈良先端科学技術大学院大学へ受験に行ってきました。

昨日は仕事の方は一日お休みを頂き、奈良先端科学技術大学院大学へ受験に行ってきました。


でも今回は不合格だろうと思う。いろいろやらかしてしまったので。

TOEFLをスコア(自分はTOEFLで準備)を原本を用意できなかったり、数学科なのに数学の問題で解けないのがあったり。



受験の前日、自分は仕事が終わってから飛行機で大阪へ向かった。

20時頃の飛行機で関空に向かい、なんだかんだ難波まで到着した頃には11時を回っていた。

しかも、まだ宿を確保していなかった。

しかも、携帯も充電が切れていた。この時点で既に行き当たりばったり過ぎ。

しかも、雨も降っている。

ネットカフェで携帯を充電したり、ホテルを探したりしつつ、なんだかんだホテルに到着したのが深夜1時頃。

そもそも、飛行機をとったのも、当日仕事の昼休みだというところから始まって、ナメている感全開だなとつくづく思う。

今更ながら反省としては、せめて宿ぐらいは確保しておくべきだったなと思う。



昼食しか食べていないので、夕飯を食べに行こうか迷うも外は雨。

時間も時間で、たいした店もやっていない。しかもこの時間に食事をしたら、寝れなくなる気がした。外に出るのもおっくうなので、これ以上外出はしなかった。


「明日は午後からかー」なんて思いながら、念のため時間を確認したりしていると、なんと朝一からだったことに気付く。

危ない危ない。

そんな事をしながら就寝したのが、結局深夜3時頃。大切な受験の前だというのに、特に緊張して眠れないとかいうわけでもないのに、睡眠が数時間しかとれずに、入試に臨むことになってしまった。





翌日、なんとか起きて、少し早目に出発する。

早くついて、大学の食堂で時間を潰そうと思っていたが、なんと食堂がまだ開いていない!そりゃそうか。

しかたないので、ロビーで受け付け開始まで待つことにした。




試験は数学と面接。


冒頭にも書いた通り、TOEFLのスコアの原本を用意できていないので、英語の点数は0点である。

原本が間に合わないことがわかった時点で、受験を棄権しようかとも思ったが、せっかく受験票は手元にあるので、もしまた受けるときのために雰囲気だけでも見ておこうと思ったので、わざわざ東京からきてみた。

数学も、結局あまり復習できなかった。

一応、最低限のラインは解けたが、数学科出身なのに全問解けなかったのは悔しいな。



まず数学の面接から始まった。

部屋に入ると、2名の面接官とその向かい側にホワイトボードと机とそのうえに問題用紙が置いてあった。

入ったら、問題を解いて見せてと言われたので解き始める。

ちょっとした計算ミスぐらいなら、面接官から突っ込みを入れて訂正してくれる。それ以外は特になにも言われず解くだけだった。

2問解いて時間が余ったので3問目を解いている最中に時間切れ。特になにか言われることもなく退出し、次の面接へ。


次の面接では、小論文の内容とプラスアルファ。

小論文の内容、どうやって実験するのか、脳波は測定したことはあるか、脳波は読めるか、なにか文献は読んでいるかなど。

それに加え、自分は経歴が特殊だったこともせいだろうが、なぜ秋入学志望なのか、多大は受けているか、仕事は辞めるのかなどを聞かれた。

この面接に限らず、自分が一番苦手な質問、「~について、2,3分程度で説明してください」は多少早口になってしまった感じはあったが、練習をしたので、概ね時間通りにまとめられた。

それだけも十分満足。




試験が終わったあとは、研究室の公開をしているとのことだったので、見学に。

志望の研究室では、論文読書会が開催されるとのことだったので、参加させてもらう。

30分程度で終わったので、そのあとは帰るために空港へ向かった。



とりあえず一段落がついた。結果を待とうと思う。