2014年3月11日火曜日

3年の月日~まだともう~

あの日から3年になるらしい。東日本大震災のことだ。Googleのトップページにも表示されている。


みんなそれぞれ、その日にいた場所は違うが、その日に何をしていたのかは覚えている人がほとんどだと思う。


自分の場合、その日は就職活動で面接の日だった。


墨田川の近くにある某企業で、面接の順番待ちをしていた。


比較的和やかな会社で、控え室で社員や他の就活生と雑談しながら、待機していた。


いきなり揺れ始め、様子を見ているうちに、ビルの高層にいたせいもあるが、かなり揺れが大きくなったので、これはやばいと思い机のしたにもぐりこんだ。地震がきて、机のしたに入らなければと思わなければならないことは初めてだった。かなり怖かった。


その後、ビルの高層だからあれだけ揺れたのだろうと思っていたが、交通状況をみると、全く機能していない。待機していた人達も全員面接が終わるも帰る手段がないために、夜まで控室で様子を見ていた。中には泊まる人もいた。それを見ているうちにいよいよただごとではないぞ、と思うようになった。


電車が動いていないため徒歩になるので、帰るかどうか迷ったけれども、大体の所要時間が計算できて、大変ではあるけども、歩ける距離だと思ったので歩いて帰宅した。徒歩約3時間である。


控え室で交通情報をみていても事の重大さはわかったが、実際に町を歩いてみると、より実感がわいてきた。


道路はどこも渋滞、歩道も混雑、バスを待つ列が長い、駅では座り込んで休み人が多い。




あれから3年である。もう3年なのか、まだ3年なのか。人によって違うだろう。

自分は、まだ、と、もう、が混在している。

どういう場面では、どっちに感じるか。

例えば、原発関連のニュースをやっているときには、もう3年と感じる。

一方で、被災地の復興のニュースなどのときには、まだ3年と感じる。
今回の東日本大震災は大変な災害だった。それは間違いない。しかし、他の災害と比較してどの程度大変なのか。
また、復興というのに通常はどれくらいかかるのかという目安がわからない。想像している以上にかかるのだと思うが。
そういう前提からニュースをみていると、まだ3年にしてはずいぶん復興が進んでいるという印象は受ける。物理的な意味だけでなく、心理的な意味でも。

こういうこと書くと、揚げ足を取ってくる人がいるかもしれないので、念の為に書いておくと、TVのニュースという限られた情報から判断する限りという意味だし、もちろん復興への問題などはまだ山積していることに変わりはない。

だけども、まだ3年しか経っていないのに、なんとか生き抜いているという意味で、人間の力はすごいなとむしろ感動している。


一方で、自分自身に目を向けるとどうだろう。

もう3年か、早いな、という感じである。

3年前と時点と続きで今がある。そういう意味で、ついこの間のような気がする。

しかし実際は3年という月日が経っているのだが、その間に自分はどれだけ成長、前進できたのであろうか。少し不安になる。

日々目の前のことでいっぱいいっぱいで過ごしているツケかもしれない。




まだともう。どちらに感じるかと、現象に対してどの程度の距離感で認識しているか、ということにはどのような関係があるのだろう。




このように、改めて過ぎた月日を認識させられると、一日一日をどれだけ適当に過ごしているか、ということを痛感させられる。

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