すっかり春の陽気であるが、これを書かずに春は迎えられない。
自分は縁があり、シューマンの交響曲1番「春」を既に2度演奏する機会に恵まれた。
一度は高校のときで、二度目は大学のときだ。
情景的な曲で、好きな曲だ。
ウィキペディアより。
特に一楽章の前半と、四楽章が好きだ。
一楽章は、序奏から提示部までで、冬から春の訪れまでを表現している。
激しいブリザードからはじまり、ブリザードがおさまったあとは、すこし穏やかな冬を時間が流れる。そしてそこから徐々に雪解けがはじまり、植物や生き物たちも目覚めだし、春のお訪れという一点に向かって、無限に収束していく。そして、提示部で春の喜びが存分に表現される。
自分はこの曲は真冬に聴くのが好きだ。
「今は寒さで厳しいけど、この寒さもいづれ収まる。もう少しすれば、徐々に暖かくなり、そこまでくれば一気に春の陽気だよ。もうすこしの辛抱だから頑張ろう!」
そういう風に思わせてくれ勇気がもらえるからだ。
四楽章は、最後が力強く期待感あふれる終わり方なので、個人的には春が終わったあとの夏へ向けた期待感のようなものが表現されているのではないかと思っている。
これはこれで好きだ。春というと日本ではなにかと環境が変わる時期。不慣れだった環境にもなれてきて、解放感あふれる夏になると、一皮むけるチャンスがあるのではないか。自分はそのような夏のイメージをもっているから、この曲がそういう風に聞こえるのだと思う。
ちなみに初演のときは、各楽章にタイトルがついていたそうだ。
一楽章:春のはじまり
二楽章:夕べ
三楽章:楽しい遊び
四楽章:たけなわの春
三楽章は楽しい遊びというタイトルだが、自分はどちらかというと危険な遊びというイメージをしてしまう。
スケルツォの部分からなのだが、この部分が、ナイフをもって追いかけっこをしている。しかもそれが塀の上で。
どこで下に降りるのかはわからないけど、最後は追いかける側がナイフを突きたてようとした寸前のところで、追いかけられる側は塀の下に空いた小さな穴に滑り込み、ナイフが刺さるのをかわすというイメージだ。
こんなイメージではとても楽しい遊びとは言えない。
1楽章
2楽章
3楽章
4楽章
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