2014年1月12日日曜日

速く、正確に、そして無意識的に

今日もTOEFLの勉強をした。今日はCDも聞いて耳からも学習してみた。

単語の記憶があいまいだったころは、音としては認識できるものの、どんな意味だっけといちいち立ち止まってしまい、その間に音声はどんどん先へ進んでしまい、結局要点を聞き逃す、みたいなパターンが多かった。しかし、今では結構難しい単語でもあまり考えることなく聞いたまま理解できるようになってきた。そういう意味では、着実に前進をしていることを実感できてよかった。

勉強をしながら、自分がイメージしている熟達という状態が、具体的にはどういう状態なのか、頭を駆け巡っていた。
だが結果として、おそらくそれは当り前だろうという定義にたどりついてしまった。

今に気づいたことではないが、自分は熟達していく過程は好きだし、何かに熟達している、いわゆる職人といわれるような人達も尊敬してしまう。
少し具体的にいえば、音楽家、アスリート、科学者など、固有名詞もだすのであれば、上記でいうような職人というイメージと少しずれてくるかもしれないが、天野篤、福島孝徳、イチロー、井畑弘和、工藤公康、石井裕などなど。もちろんこの他にもとてもすごい人達はいらっしゃるでしょうが、メディアなどで取り上げられて感銘を受けたのがこの人達。
とてつもない努力を継続していて、努力することも継続することも素晴らしい上に、とても謙虚に鍛練をしている。


熟達しているというのは、「速く、正確に、無意識的に」処理ができる状態になっていることだと思っている。

楽器の練習や語学の学習、あるいはスポーツの練習で考えるのがわかりやすいが、例えばいちいちどのように体のどの部分をどのように動かすかなんて考えていたら、上達はしない。練習をすることにより、より速くより正確に、そして考えなくても身体が反応するレベルまで達している状態がよい。
もっと言えば、考えるより前に身体が反応はしているのだが、それに対しての理屈や説明を求められたら、速やかに対応できるというのが望ましい。
無意識的でも意識的にもできているという状態。


では、なぜその状態になること=職人になることに憧れるかについて考えてみたところ、それがその人の努力を反映しているからではないかという結論にたどりついた。

何を処理するかにもよるが、おそらく頭の回転が速い人であれば、速く正確に処理することはわけがないと思う。しかしそれに考えなくてもということも加わってくると、少し話しが違ってくると思う。

何度も何度も繰り返すことによって、まさに体に刻み込んでいくというのは、時間がかかることであるし努力が必要である。

頭の回転がお世辞にも早いとは言えないので、努力のあとがその人自身のスキルという形で表現されている、職人に憧れるのだと思う。


ちなみに、「速く、正確に」というのは、自分のビオラの先生にくどく言われた言葉。
それにさらに「無意識的に」という言葉を加えて、目標としている。


最後に、ちょっと本文とは関係ないけど、好きな名言を。

「いつも通りのことをいつも通りにやったので、おのずと結果もいつも通りになる」(天野篤、天皇陛下手術後の会見で)

「人の2倍働き、3倍の結果を出す」(石井裕のモットー)

「われわれは天才ではありませんから、基本的に、考えつくほとんどのアイデアはゴミです。ほとんどCかDでたまにBがあって、Bを磨けばAになるかもしれない」(石井裕)

「出すぎた杭は打たれない」(石井裕)

「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへいくただ一つの道だと思っています」(イチロー)

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