ふと、小学校や中学校の時の美術の授業を思い出した。
「三つ子の魂百まで」ではないけれど、あの頃から自分の性格は変わってないのかなと思うと、自分が嫌いになる。
一つ目は、多分小学校の時のエピソード。はっきりとは覚えてはないけれど、どういう場所にいたのかというイメージは覚えていて、それによるとあれは多分小学校だろう。
大きな銀杏の木の側にある図工室。図工室の窓からは校門へ下っていく坂もみえる。
そのときは、木の板をくり抜いたりして、パズルをつくるみたいな課題だった。
少し説明が難しいけど、ジグソーパズルみたいなものではなく、部品をはめ込んだりして遊ぶパズル。
詳しい経緯は覚えてないけど、通常の授業中に完成できなくて、残ったりして作業したけど結局完成せず、のろのろ作業しているうちに、次の課題が始まってしまった。
先生に相談したところ、「卒業までに完成させればいいよ」みたいなことを言われたけど、結局完成させずに家に放置したままになってしまった。
この頃から、すでにやりきらない癖というか、負け癖がついていたのかなあと思ってしまう。
もう一つは中学校の美術。
それぞれ、自分なりの標語を書いたポスターを作るみたいな課題。
標語といってもうまい標語がなかなか思い浮かばず。それだけならまだしも、作品として立派なものを作ろうとか考えだすと、なおさら思い浮かばず。
いろいろ自分が考えたものも、自信が持てず何度も先生に相談にいく。
でもそれは、今思えば何か正解がある思い込みでおこなっていた作業にも思えて、「これで正解ですか?」とか「これで問題ないですか?」と、答えがない課題に取り組む姿勢ではなかったと思う。
正解なんかないんだから、思ったようにやればいいのにね。
それを思い返すと、他人からの評価を気にするっていう意味では、もしかしたら今も変わってないのかもしれないなと嫌になってしまう。
でも、美術作品の制作はあまり好きではなかったけど、大人になった今となっては美術鑑賞は割と好き。
大人になって、「制作する楽しみ」とは別に「鑑賞する楽しみ」もあるということを知ったからね。
鑑賞するのが好きだからといって、制作までしなければいけないわけではないことを、もう知っている。
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