2014年2月18日火曜日

感受性

単調な日々を過ごすのはつらい。毎日、朝起きて仕事に行き、特に変わった事があるわけでもなく、夜には帰ってくる。

しかしこれが普通のことであり、こういう変化のない日常に耐えることが社会人なのかなとふと思ったりもする。

こんな考え方は未熟かもしれないが。これが、自分の仕事に誇りをもち、日々充実過ごしていれば話しは違ってくるのだろう。

ブログに書く話題も探しつらくなってきたことや、退屈な日常に潤いをもたらすためもあり、なんでもない日常から感じたことを書いてみようと思った。

ところが、一時期はただ歩いているだけでもなにか感じることもあったのだが、最近は歩いていてもなにも感じない。

例えば、家と最寄駅までの道のりもただの作業になってしまっている。




感受性という言葉で何を意味するのかはわからないが、自分には感受性がないなと思う。




昔は、感受性という言葉の意味を勝手に想像し、理想化していた。

当時の自分自身、はっきりと自分なりの定義をもっていたわけではないので、今の自分でもはっきりしたことは書けない。

それでもあえて書いてみると、いわゆる文学作品に対して造詣が深く、登場人物の気持ちを想像できたり、日常を擬人化して表現できる能力があることを感受性がある、と思っていたような気がする。




今でも、感受性という言葉の意味するところはいまいちわかっていない。

しかし、昔のほど限定された意味では考えてはいない。また、感受性が重要になってくるのは最後の部分だと思っている。

感受性と理性は背反するものではない。理性を駆使して技術を高めていき、それが十分に飽和し最後の決め手になる段階でやっと感受性の要素が必要になってくるのだと思う。

まだまだ、感受性や感性、個性といったものが重要な要素になる段階まで至ってはいない。

日々努力をして、できて当たり前の事を増やし、個性を表現できる段階まで達したい。

その段階まで達したときには、おそらく自分の職種はなにかという問いは意味をなさなくなるだろう。

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