『贖罪』を読んだ。
この本も湊かなえさんらしさが出てて、個人的にはすごい好きな本でした。
お互いがお互いを思っているはずなのに、それが悉く掛け違えが起こり、悪い方向に展開する。。
こういう物語をかけるのは凄すぎるし、色々闇を抱えてる自分には刺さる文章ばかりでした。
9/3にある本番の練習が始まりました。
が、、昨日と今日で雨。。
思い楽器を持ち運びたくない。。
曲はシューベルトとブルックナーです。
以前ブルックナーの1番をやって、今回5番ということで、今回2回目ですが、聞けば聞くほど味わいがでてきますね。
ということで、宣伝です!
2023/9/3(日) 昼公演
FAF管弦楽団第64回定期演奏会
指揮 : 米津俊宏
ブルックナー交響曲第5番
シューベルト交響曲第3番
すみだトリフォニーホール
連絡を頂ければ、チケットの用意も可能です!
今回は、クリップの便利な活用法を見つけたので、紹介しようと思います!
今まで、本を読み際、栞や付箋のいい使い方に迷っていました。
微妙に痒いところに手が届かないというか。
具体的には、、
付箋
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| 行単位であれば、マークしたい場所を指定できる。 |
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| 本のサイズから飛び出ないし、金属製なので丈夫。 |
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| クリップの箱を常時持ち運ぶと嵩張るので、手帳に挟んでストックしておく。 |
うまく表現できないけど、今までの湊かなえ作品とは違ったよさがあった気がする。
なんだろう。
自分が今まで読んだ本だと、「復讐」とか「(異常な)好奇心」とかから物語が展開していくスタイルの印象が多かったけれど、これは「お互いを思いやる気持ち」が空回りしながら物語が展開していく感じ。
「お互いのためを思って」というところが、共感できなかったと同時に羨ましくもあった。
なぜだろうか、と考えてみたが、多分今までの人生で自分一人が生きていくのに精一杯で、他人へ愛をむけるということがあんまりできていなかったからだと思う。
そういう愛せる人がほしい。
今の自分はひたすら愛を求める一方だから、多分愛されないのだとおもう。
他にも湊かなえさんの作品は読んでいるが、記事を書くタイミングの都合上、読んだ順番とは一致してない。
数年以上前に『告白』を読んで、かなりインパクトを受けた。
他の作品も読みたいなぁと思いつつ、しばらくいわゆる「読書」からは遠ざかっていて、久しぶりに小説を読み始めた。
やっぱり、自分のような認知が捻れている人間には、湊さんの作品は「刺さる表現」、「刺さる描写」が多い。
「人の死ぬ姿がみたい」という動機から物語が進行していくのだが、その動機も猟奇的な動機というより、もっと深いところから出てきている動機のようで、その辺の心理描写がとても共感できる。
お互いの認知の歪みというか誤解がある意味で解消されて次のステージに進んだ感じの終わり方が気持ちがいい。
いわゆる「読書」というものを最近全くしていなく、危機感を感じていたため、小説を読んでみた。
久しぶりに読書するにしては、なかなかハードだが、以前読んであんまり読めていなかった、安部公房の『壁』を読んだ。
最近、専門書しか読んでいなかったからか、はたまた小説を読んでいなさ過ぎて乾き切っていたからか、さくさく読み進めることができた。
淡々と活字をインプットしていく作業。
この本へのトライは2回目だが、やはり理解が追いつかない。
辛うじてストーリーや全体像を把握できたぐらい。
わからないけど、全体としてメタファーをメタファーではなく文字通りの現象として起こってることして書いてるから、ぶっ飛び過ぎていて理解が追いついていない気がする。
他の作品も読んでみようと思う。
転職をして、なんだかんだもう時期2年が経過しようとしている。
SESの会社で働いているが、2つ目の現場で、わりとモダンな技術を使っている現場に当たったので、そういう意味では恵まれていると思う。
自分含めて周りもあんまりわかってないので、わからないことだらけなので、残業続きで大変ではあるけど。
自分にとっては多少背伸び気味の現場なので、そこで揉まれて成長できているとは思う。
当然のことながあんまり詳しいことは書けないけど、クラウド系の技術を使っていて、
docker、kubernete、OpenShift。
あとHelmchart、istioとかも。
正直理解が追いついてないので、キーワードを並べるだけになってしまうけど。
正直あんまりコードは書いていない。
でも、環境構築をして、仕組みがどうなってるのかをしれるから楽しい。
よくわかってないけど、多分DevOpsっていうのだろうか。
普段からわりと動作原理とか仕組みがわかって満足という気質はある。
環境構築して動くことが確認できれば満足、という感じ。
環境構築して動かせる環境さえ作ってしまえば、あとはコード書いていくだけだし、と思っている。(もちろんコードを書くのだってそんな簡単な話ではないことはわかっているが)
プライベートでも勉強がてらDockerなどを触ってみたりしている。
DockerやVirtualBoxなど、仮想化という便利な技術を知ったので、前は「環境構築失敗してもとに戻せなかったらどうしよう」と躊躇していたようなことも、「失敗したら戻せばいいや」と気軽に行えるので、いろいろ手をつけてみている。
GCPなんかも触ってみている。
DevOps系のスキルをもっと高めて、MLOps系の方向へ行きたいなと思っている。
初恋は小学校6年生の時だったと思う。
同じクラスの子だった。
その子は中学受験のため塾に通っており、頭がよく、そしておとなしい女の子だった。
その子を好きだった理由は今となってはよくわからない。
お淑やかな性格が好きだったのかもしれないし、今思えば近くの席になることが多かったから単純接触の原理として好きになったのかもしれない。
話す機会も多かったので、自然と仲良くなり少なくも嫌われていないことはお互いわかっていた。
しかし、結局思いを伝えることはできなかった。
卒業式の時に友人経由で両思いであることが発覚。
しかし本人に直接思いを伝えることはなかった。
表向きはタイミングがなかったためだが、本音は本心を聞くのが怖かったのでタイミングをつくらなかったというのが正しいのかもしれない。
その後の行動が自分でも気持ち悪いと思う。
卒業式後、3月末までまだ期間があったため、なんとか話す機会を作れないかと考えていた。
しかし、当時は携帯電話などもなく、親同士親しいわけでもないので、電話番号も知らなかった。
そこで名簿から自宅の電話番号をさがし公衆電話から電話した
最初に母親らしき人が出て、そのあとおそらく本人に代わった。
と、思うのだが自分の名乗りもろくにせず、話すのが怖くてすぐ電話をきってしまった。
電話番号をさがしてさがしてまで、しかも公衆電話からかけるというところに、しつこさや執着心、諦めの悪さが表れていると思う。
向こうは私立中学へいってしまったのでそれ以来会っていない
少し話は飛躍するが、数学の厳密な証明とかにのめり込んでいくあたりにもそれはあらわれてそう。
そう考えると、三子の魂百まで、ではないがいい歳になっても根っこの部分は変わっていないようにも思われる。
ここ最近、やらなければいけないこと、やりたいことが多すぎため 、先日、タスクの棚卸をして整理をした。
これまでは、あれもやらなくては、これもやらなくては、と思っていたことが、「やらなくてはいけないこと」ではなく「やりたいこと」であることがわかったり、優先順位をつけることができたりし、心が落ち着いた。
全体像を把握するというのは大事だ。
やりたいこととやらなくてはいけないことを区別しかたらなのか、タスクを明確にしたからなのか、そのあとからそのあとからゆっくりではあるが、日々タスクを消化し前進していることが感じられ、自己肯定感も心なしか少し上がった気がする。
久しぶりに小説を読んだ。
本自体は普段から読むのだが、最近は技術書や数学書、学習参考書、自己啓発ぐらいしか読めていなかった。
そのせいかどうかわからないが、英語で書いたり話したりするときに、そもそも日本語でもいい表現や内容が思いつかないと思い、もっと本を読んで内面を充実させなくてはと思ったからだ。
日本語英語にかかわらず、ウィットに飛んだ会話やうまい切り返しができてないと感じたので即効性はないとは思うが、本を読み始めたのだ。
あんまり知らなかった語彙や、文学方面の知識を開拓するという意味で文学作品を読もうと思い、まずは以前読んで挫折していた本から始めてみた。
で、安部公房の『壁』をとりあえずキリのいいところまで読み終わった。
昔読んで意味不明、支離滅裂だと思ったがやはり、今読み返しても理解できず。
以前読んだ時は、良くも悪くもストーリーを楽しもうという姿勢で読んでしまい、理解できなさすぎて何度も眠気と戦いながら読んだが、今は活字を追うこと自体で楽しめているので、淡々と読み進めることができた。
一冊読み通したらそのときはまた投稿しようと思う。
またまたずいぶん間が開いてしまったが、4月1日、新年度ということでまた投稿を再開してみようと思う。
なんとなく書くネタも溜まってきたような気がするので。
久しぶりに、最近小説を読み始めた。
安部公房。
読んだ感想とかはまた、改めて投稿します。
今から思えば、子供の頃、自分は正解を求めすぎな人間だったような気がする。
中学校時代の美術の授業まで遡る。
覚えているのは、「メッセージ性のあるポスターをつくろう」という感じの授業だったかと思う。
ポスターというのか、絵というのか、その両方のような課題だった気がする。
例えば、「いじめをやめよう」とか、「絶滅危惧に瀕している動物を守ろう」と「環境破壊を防ごう」とか、そういったメッセージ性を絵で伝えようというものだった。
中学校の授業なので、どういうメッセージにするかということはそれほど重要ではなく、それをどう表現するか、といったことを学ぶような授業だった気がする。
自分は「水を大切に使おう」みたいなメッセージだったと思う。
周りのみんながつぎつぎと作るべきものを決め、作業を進めていくのを、「どうしてそんなに早く正解が見つけられるのだろう」と思いながらみていた。
もう少し正確にいえば、当時も正解が一つではない、とは思っていた。
しかし有限ではあると思っていて、周囲の人が描くテーマを決めていくに従って、「正解が一つとられた」と思っていた。
そんななか、「正解」と思われるテーマを捻り出し、具体的なデッサンのプランを先生に相談しに行っていた。
このときも、そもそも決めたテーマが正解なのか自信がない、さらにそれを表現する手段として自分のアプローチが正解なのかも自信がなかったので、かなりこまめに先生に相談しにいっていた気がする。
あまりにもこまめだったからか、「いや、それでいいからとりあえずやってみなよ」と先生に言われた。
結局悩む時間が増えれば増えるほど、作業にとれる時間も減っていくので、納得のいく出来栄えではなかった。
今思えば、そもそも「正解」なんてない、というか無限にあるのに、「正解」を求めすぎていたような気がする。
それは、もっといえば、自分に自信がなかった、自己肯定感が低かったので、周囲の目を気にしすぎていたからだと思う。
周囲の人から、無難に思われる、あるいは優秀ではなくてもまずまずと思われるところを狙いすぎていたと思う。
いわゆる5教科の成績はよく、それなりに頭はよく、学校でもうまくやっていけていたので、下手な作品をつくることで自分の評価が落ちることを恐れていたのかもしれない。
少し話はそれるが、さらに小学校まで遡っても美術(小学校のときは図工という名前だったが)の授業はあまり好きではなかったかもしれない。
小学校のときも、時間内に課題を完成させることができず、放課後に残って作業しても完成させられず、あとは家でやります、と持ち帰って結局完成させなかったような気がする。
今この年になってみると美術も少し好きになった気がしてる。
美術というか芸術全般が割と好きである。
なにが変わったのかというと、芸術への関わり方は「自分自身が創造すること」だけではない、ということを知ったからではないかと思っている。
一口に芸術といっても、
美術に関しては、絵画、彫刻、版画、漫画その他まだまだ色々、
音楽に関しても、クラシック音楽、民族音楽、雅楽、ジャズ、ポップス、ボカロ、等々、
演劇でも色々。
さらに、それを観賞する、背景を知って考えるという楽しみ方もできる。
そういういろいろな関わり方を知り、「自分自身が創造するだけ」ではないということを学んだからこそ、好きになったような気がする。
そして、「創造する」ということに関してであれば、手段は上記の分野だけではなく、他にもいくらでも手段があるということがわかってきたからだと思う。
自分の好きな数学や、プログラミング、そしてこのブログのように文章をかいたり。
Lie to meが好きすぎて、多分今までで3周ぐらいはしている気がする。
ティムロスがはまり役!
とか、
ケリーウィリアムズ美人!
とか、それ以外にも自分が好きポイントをあげるときりがないのだが、それはまた別の機会にじっくり語る。
延々と語ってやる!
今回話すのは、自分が好きなタイプの映画やドラマについて。
好みはいろいろあるけど、その中の一つとして、「専門家が活躍する作品」が割と好き。
先ほど挙げた『Lie to me』もそうだし、『科捜研の女』、『Voice』(結構前のドラマかもしれないけど、法医学系のドラマ)、『Dele』、『コードブルー』とか。
特に、自分が好きな理由を表現しているシーンが『コードブルー』のシーズン3の第8話で灰谷先生が子供のレントゲン?をみて「おかしい、なにもない」っていうところ。
あぁいう、訓練をして見える人にしか見えない・判断できないことができるっていうのが憧れる。
決して誰にでもできることではないけど、みる人がみればわかる的な。
そういう意味では『Lie to me』も微表情を読み取る、っていうところでは共通している。
でも、それがファンタジーとかになってしまうのはダメ。あくまで現実ベースで。
そういうことで、専門家が活躍するような作品は好きなのです。
正直、自分は年齢に対して精神年齢が幼いと思う。
いろいろ理由はあると思うが、最近考えていることは、今まで生きてきた中でやり残したまま放置していることがあることが、一つの原因だと思っている。
一つは、跳び箱ができないことだ。
基本的に運動全般は得意ではない。
しかし、自分と同じように運動が得意ではない人でも、大半の人はなんとか克服してできるようになっているであろうことをできていないというのは、一つ心に突っかかっているかもしれない。
もちろん、そもそもとして五体満足ではなく、そもそもの前提にたてない人もいるだろう。
また、社会人にでもなってしまえば、跳び箱の一つできないことぐらい、どうということではない。
だから、自分と同じように跳び箱をできない人を貶めるようなつもりはないが、ただ自分の中では、恥ずかしいこととして認識しているように思う。
で、いつか克服しようと後回しというか保留にしているうちに、精神年齢は当時からさほど変わらず、実年齢だけ増えてしまったという感じがしている。
ちなみに逆上がりはできる。
それと同じ並びでいくと、野球が苦手だ。
正確にいえば、バッターとしてボールを打つとき、向かってくるボールが怖い。
小学生のとき少年野球をやっていた。
ただあまり好きではなかった。
特に、物凄いスピードで迫ってくるボールが怖かった。
例えば、今挙げたようなバッターボックスに入ったときにピッチャーが投げてくるボールが怖い。
かなりの至近距離までボールが迫ってくるし、コントロールが悪いと当たってしまう。
当時は至近距離ノックとかもさせられた記憶がある。
バッターの打球を守備としてキャッチするのとかは問題ない。
結局それも、「なんで怖いのか」という根本の原因を解決しないまま今に至ってしまっているような気がする。
「なんで怖いのか」という根本の原因、といったって、それはあのスピードでボールがせまってくるから怖い、のであるが、そういうことではない(どういうことだよ)
でも、良くも悪くもルールはわかるので観戦するのは好きだ。
同様の並びで、一輪車もできない。
ちなみにスポーツ関連の他の競技に関していうと
サッカー→特別得意ということはないが、少なくとも苦手意識ということはない。あのごちゃごちゃした感じとかルールとかわかってないが、ボールが怖いとかそういうことはない。
バスケ→同様
テニス→学生の頃少しやった程度。恐怖心とかはない。
バレー→中学生のときにやっていた。強烈なスパイクとか飛び込んでレシーブとかは怖い。
水泳→一応、全ての泳法ができるし、苦手意識は感じない、というかどちらかというと一番好き。
剣道→高校の授業で少しやった。結局よくわからず。得意とか不得意の前によくわかってない。
柔道→中学・高校で少しやった程度。体格が小さいのであまり得意ではない。相手の力をうまく利用する、とはいってもある程度こちらも力は必要な気がする。
器械体操→身体能力が高くないので、全体的に苦手。
少し話が逸れてしまった。
この辺りの話が、心理学で課題解決がどうのこうのというような話があったなと思って調べてみたら、エリクソンという人がそういう研究をやっていた。
なんか昔、教養か何かの授業でそんなことをやった記憶がおぼろげながらある。
発達心理学の課題解決理論的な視点で、今回の話をもう少し掘り下げられそうな感じはしているが、それはもう少し調べてから別の機会に。
駅までの道にある公園を通ったら、かなり大幅な改修工事が入っていた。
改修なのか、解体なのか、正確なところはわかりませんが。
少なくとも、遊具のメンテナンスという程度の工事ではなかった。
この界隈で育ち、過ごし、小さい頃からこの公園ではよく遊んだ。
それこそ、小学生の頃は、ほぼ毎日遊んでいたかもしれない。
地域がバレてしまうかもしれないが、ドロケイやポコペンをやったり、ネットで区切られたグラウンドがあったので、野球やサッカーをやったり、トイレの屋根の上に登ったり、木登りをしたり。
周囲に他にも公園はあったがこの公園が一番遊んだかもしれない。
それが、ネットで囲われていたグラウンドが解体され、ネットははずされ、柱もこわされほとんど更地になっていた。
つい先日まで、普通に子供たちがグラウンドでサッカーとかして遊んでたのに。
この公園がどうなるのかわからないが、昨今の風潮に合わせてまた一つ遊び場が消えてしまうのだろうか。
自分の思い出が詰まっている場所でもあるので、それだけはなってほしくないなぁと思いながら、駅までの道をいく。
久しぶりの投稿。
つい先日誕生日を迎えた。
多分誕生日がわかるような記述をした覚えはないはずなので、誕生日が特定されないように「先日」という感じでぼかす。
それから少し間が空いてしまっているので、それを機に、ということではないがまた書き始めてみようと思う。
今日は久しぶりに充実した日だった。
最近は平日は仕事が割とハードモードで、それにコロナ禍でそもそも積極的に外出もできないので、お昼前まで寝ていることが多かった。
しかし、今日はSNSで知り合った人と初めて会う人との約束があったため、朝から起きて外出。
SNSのプロフィールに書いておいたことに興味をもって頂き、一緒に勉強会から始めない、と提案され、まずはそれの初顔合わせということだ。
もともと「とりあえず走り始めること」があまり得意ではなく、改善しなければいけないと思ってはいたが、今日新しい出会いで感化され、とりあえず動き始めてみることにした。
「人が集まらないと成り立たない」と思いがちだけど、一方で「とりあえず走らせないと人が集まらない」というのもまた真なりだとは思うので、まずはスタートしてみよう。
その後、お昼を食べ帰宅。
その後今月から通い始めているジムへいきプールで泳ぐ。
プールで泳ぐの自体は今年(というか今月)3回目。
最初はすぐ息が上がり、足もすぐパンパンになっていたが、割と量が泳げるようになってきた。
泳ぎ方の勘も取り戻したのか、クロールとかであれば25mぐらいは一瞬に感じるようになってきた。
その後は帰っていろいろ勉強とか。
ここ最近では比較的充実した一日だった。