2019年3月13日水曜日

脳の処理速度

最近、youtubeをみていたら懐かしいこんな動画を見つけた。


 



当時は、視覚的に楽しいことばかりに目がいってしまって、このシーンは特別なにも思わなかったけれど、今見てみると結構深いことを言っているなぁという気がした。


印象的なのは、

「私のほうが早くて強いとしても、そのことは私の肉体と関係あるかな、この世界で」

「君が吸っているのは酸素か?」

「どうしたんだ、もっと速いはずだぞ」

「頭で考えようとするな」

とか。

結局、あの中はプログラムの世界だから、肉体とか関係ないと。

現実世界なら、体が大きいとか、力が強いとか、物理的なアドバンデージやディスアドバンテージがあるけど、プログラムの中ではそんなことは関係ないと。

それでもなお、「相手の方が(物理的に)速い」とか「(物理的に)強い」と思うのは、それこそ思い込みな訳で。

プログラムの中では実際には肉体はつかってないわけだから関係ない。




で、それを踏まえると、「どうしたんだ、もっと速いはずだぞ」というのは、「もっと(脳の処理速度は)速いはずだぞ」ということだと思う。「物理的に早く動けるはずだぞ」ということではなく。

実際に肉体を動かしているならいざしらず、脳の中の出来事だから、物理的な制約はなくて、本人がどれくらいの速さまでイメージできているか、脳で処理できるかという問題なので、「お前はもっと頭の回転速いだろ!」って意味だと思った。




「頭で考えようとするな」っていうのも示唆深い。

頭で考えて行動しているうちは、やっぱり全体的にパフォーマンスが悪いというのはなんとなくわかる。

自分の例でいえば、ヴィオラと英語と数学。

ヴィオラに関していえば、いちいち弓の持ち方とか、音を正確にとることとかを考えて動かしていたら、難しい曲とか速いパッセージは弾けたもんじゃない。

普段は考えながら練習するわけだけど、最終的には考えなくても自動的に動くようになって、それもさらに超えると初めて自分の思うように弾けるようになる。




英語に関しては、最近成長を感じ始めたけど、ネイティブと話す時に、細かい文法まで意識しなくても、スラスラと英語がでてくるようになった気がする。

英語モードへ切り替わると、いちいち日本語を英語に訳すのではなく、なんかなんとなく言いたいことだけ考えて、そのまま英語で話しだせるようになっている気がする。

その時の感じで、なんとなく頭では考えてない状態に近いなと思った。

文法を気にしたり、「あれって何ていうんだっけなー」とか思いながら話すのが、考えている状態。



あと数学もわりと似ていて、よくありがちな典型的な議論とかは、なれてくると「同様に」とか「よくある議論で」とかで端折ることが多い。

でも、数学を学び始めた最初のころは、そういう典型的な議論も知らないし慣れていないので、意味を考えながら証明をしているわけで。

それがだんだん証明をフォローするスピードが上がってくる。




だから、十分な知識やスキルがあるという前提ではあるけれど、それがあるのであれば、まさに考えながら行動するっていうのは、足枷をつけているようなものではないかなと。

余計なことを考えず、マトリックスの言葉を借りていうのであれば、「心を解放」すれば、高速でいろいろ処理できるのかなという気がした。

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