2014年8月23日土曜日
いつも行く場所
そういえば、ふと考えてみると、ほぼ毎日新宿へ来ている気がする。
職場が新宿なので、仕事の日は行くのは当然として、休みの日もなんだかんだ新宿へ寄っている気がする。
まあ定期があるし、近いから余計な交通費がかからずすぐ行けるから当然といえば当然なのだが。
昔、『学校会談』という怪談の漫画にはまっていたことがある。
確か基本的には一話完結で、でも全体としてみるとストーリーになっているみたいな構成だった気がする。
その中に、こんな話がある。
いつも学校と家の間の往復しかしなく、休みの日でも行動範囲が限られている青年がいた。
ある日突然、何もないところで「見えない壁」にぶつかってしまい、そこから先へ進めない。
どうやら、ある一定の範囲にまんべんなく張り巡らされているようだ。
日に日にその壁は狭くなり、行動範囲も限られてくる。
そのうち、家から出る事もも部屋から出る事もままならず、最終的には壁に身体ごと押しつぶされ、血や肉片なども一切残らず、消えてしまうというお話。
これはファンタジーの中のお話だとしても、この話を地でいきそうな勢いでいつも同じところしか行ってないなあと思う今日この頃。
2014年8月22日金曜日
願望が実現しない理由
数年前に購入した本だったが、当時はとりあえず読みとおすことしか考えておらず、内容にピンときていなかった。
今になって改めて読み返してみると、以前より感動する。
帯にある「お金の話」なのに泣けた、というのもあながち的外れではないと思った。
どの章もためになったのであるが、特に第四章が気になった。
第四章「思考と感情の力を知る」ではこんなことが書かれている。
君の考えが人生で現実のものとなる。つまり実現していないということは、本当は望んでいないからだということらしい。
本の中では、ガールフレンドができないという悩みについて、本当にそうなのかやりとりが書かれていた。
自分は実現していないことがたくさんあるけれど、それについてもあてはまるのだろうか、主なものについて時間をとって静かな場所で瞑想をしながら考えてみた。
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彼女ができない
彼女が欲しいなーとはいつも思っているつもりだが、改めて問答してみた。
そうすると、一つの理由は面食いであることが原因だと思った。
さらに、一つ目の理由と若干重複する部分はあるが、理想が高すぎることも。
それと、どうやら自分は彼女のレベルが自分のステータスを表していると思っているらしい。それと同時に、自分自身プライドが実は高いようだ。
だから、面食いであることに拍車をかけている。
まだある。「いいな!」と思う人がいても、もしかしたらもっといい人がいるかもしれない、ここで付き合ったってもしもっと他の人と関係が進んだらもったいないことになる、とまだアタックもしていないのに妄想をしている傾向がある。
最後に、「いいな!」と思う人がいても、玉砕するのが怖くてアタックできない。ここにもプライドの高さが滲みでているようだ。
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大学院へ戻れない(研究職への道へなかなか進めない)
これも本当に望んでいるのか考えてみた。
そうやって考えてみると、結局のところ、やはり「今自分の目の前にいる人は関係を築きたくない」、「(振られるのが怖い、失敗するのが怖いから)アプローチをしたくない」と、彼女を作ろうとすることを望んでいなかったように思える。
その分野に興味があることは間違えない。
しかし、いつもなんとなくごまかしている部分に正面から考えてみた。
ここにもやはりプライドの高さが影響していたようだ。
一つは結果が出せないかもしれない自分に直面したくないと思っている節がある。
もう一つは、自分より遥かに頭のいい人間と同じ土俵に立つのが怖い。もちろん世の中に自分より遥かに頭が良い人がいるのは認識はしているのだけれど、その人達を目の当たりして現実を知るのが怖いというか。
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お金持ちになれない。
これはなんとなくだけれど、お金持ちになりたいという思いはあるものの、一方でビジネスライクな付き合いやそれ以外の付き合いも増えるのかなと想像すると、内向的な自分には少し抵抗感があるようだ。 -
結局のところ
根本的なところではプライドの高いことと、勇気のなさが諸悪の根源になっている気がする。
そんなこといっているなら、研究者の道も向いていないのかなと不安に思ったり。
勇気のなさに関して言えば、一般的な意味での感情的ではないが、これだって結局自分の感情に流されているわけだ。いわゆるストレスに対する耐性がついていない。ただこればかりはなんとか克服しないとな。
2014年8月19日火曜日
苦手意識という幻想
今日もプールへ行ってきた。
今までは、約2時間の間で休み休み300m泳ぐのがやっとだった。
しかし今日は300mの壁は1時間ぐらいで早々に突破し、最終的には700m泳いだ。
ここまでくると、1kmももうすぐで、とても無謀だとまでは感じない。
さらに今日はクロールでも泳いでみた。
今までは、ほとんど平泳ぎばかりで泳いできた。
そのため、肺活量が落ちていたということもあるとは思うが、どうも呼吸のタイミングがうまくつかめなくて、クロールは若干苦手意識を感じていた。
さらに下手したら平泳ぎのほうが速いのではないかと思っていた。
今日は、自分の泳いでいたコースが混んでいて、初心者も多かったらしく、コースの途中で止まる人も多数。
そんな状況なので、クロールも適当に立ち止まりながら、なにに苦手意識を感じているのかを分析してみようと思った。
まずスピード。
それほど苦痛に感じない範囲で試してみた。
今までは、クロールで泳いでもちっとも進んでいる感じがしなかった。
平泳ぎのほうが進んでいる感じがしていた。
それで、まずは手はかかずに、バタ足だけで泳いでみた。多少息はもつようになっていたので、顔をあげずに水中をみたままで。
バタ足だけでも、推進力はちゃんとあったので安心した。
では手をつけたらどうなるのか。
手をつけると、明らかにスピードがあがった。当たり前だが。
なんか行けそう。
そのまま泳ぎ続けてみる。
クロール=手をかく度に呼吸をしなくてはいけない、と思っていたのだが、思い切ってそれもやめ、苦しくなったら呼吸する方式に変えてみた。
こんなことができるのも、多分肺活量が増えたおかげでもあると思う。
そうすると、進んでいるのが実感としてすごいわかり、やはりクロールの方が圧倒的に速いと改めて思った。
こうやって分析してみると、なんでクロールに苦手意識を感じていたのかというと、手をかく度に、呼吸をしなければいけないと思っていたからだったような気がする。
毎回顔を上げると、平泳ぎとは違い、顔を横に上げるので、自分が今どのくらいの位置にいるのかを見失う。
どこにいるのかもわからないので、どのくらいのスピードが出ているのかもわからない。そしてどのくらい泳げばプールサイドにたどり着くのかもよくわからない、という循環。
さらに言えば、毎回顔をあげることで、逆に無駄なエネルギーを消費していたので、それが、呼吸をたくさんしているのにも関わらず、息が苦しいという感じになっていたのだと思う。
苦手意識がすこし改善されたとはいえ、やはりまだ後半になると息切れ気味になるのでそのあたりをもう少し改善したい。
苦手意識は勝手に自分で感じていただけのようだ。実際やってみると、案外そうではないのかもしれない。
もしかしたら、苦手意識を感じている他のことも、自分で勝手に感じているだけなのかもしれないな。
2014年8月15日金曜日
雨男の体力
一日中雨、とかならまだ「仕方ないな」ということで諦めがつくのだけれど、それまで降っていなかったのに、自分が外出しようと思うと降りだすことが多い。
まるで、自分にそれをさせないように、阻まれているようだ。
8月に入り、体力をつける目的で近所のランニングとプールへ行き始めた。
帰宅し、ランニングをし始めるとポツリポツリとくる。
何度かそんなことが続くので、すぐ収まるだろうと思いランニングを続けていると段々ひどくなる始末。
プールへ行こうと家を出ようと思ったらポツリポツリ。
あるいは、プールへ行こうと家を出たときは晴天だったのに、プールの最寄り駅へ着いたら、傘がいる程度には降っていたり。
そんな状態でも、めげずにプールへ行ってきた。
今月に入りまだ何度目かのプールではあるが、体力が少しついた気がする。
今日は200メートルしか泳げなかったものの、ワンスパンで泳げた。
ただそのあと酸欠になってしまい、頭が痛くなり休憩していたのだけれど。
いつもならだいたい300メートルぐらいは泳げるようになった。
仕事をしてもあまり疲れなくなったし、家で勉強をする際にも集中できるようになった。
体力って大事だな。何度も感じてはいるけど、体力が落ちてまたつけると改めて思う。。
大学院時代、知らない人だったがこんな話をしていた。
正確な言葉は覚えていないのだけれど、「毎日、頑張っているなと思って頑張っている状態では全然だめ。頑張っていることが通常の状態で意識もしない状態で頑張る程度でなければ、それにはまず体力です。」
毎日眠いな、疲れたな、もうひと頑張り、なんて感じながら仕事や勉強をこなしているのはまだまだだということですね。
数学は体力だ!というこんな話も。この話は結構好き。
http://nc.math.tsukuba.ac.jp/column/emeritus/Kimurata/
憧れている石井裕教授のモットーで「人の2倍働き3倍の結果をだす」というのがある。
とりあえずはこの言葉の「人の2倍働き」の部分を目指してやっているのだけれど、この時点で難しい。
というか、普通に会社員とかやっている人はそんなの当たり前にやっているのだろうから単に自分が甘いだけだと思うが。
それと体力。
体力がないので、仕事が終わるとすぐ疲れてしまう。
やっぱり、頭脳労働をするにしても体ありきですからね、体力って大事だと思う。
2014年8月12日火曜日
集団的自衛権
ホットでデリケートな話題だけに、炎上しないか心配だ。
そもそも炎上をするほど人の目に留まるのかどうかがわからないが。
先日、Facebookで憲法の解釈変更による集団的自衛権の容認の記事がシェアされていて、コメントに賛否両論いろいろな意見が投稿されていた。
賛成意見にも反対意見にもどちらにももっともだと思うところがある。
自分も結局どうすればいいのかわからないままではあるが、思うところがあったので書いてみようと思っていた。
デリケートな話題なので、どういう議論がされてきたのかや背景的な話題、賛成意見や反対意見の根底に流れる哲学などきちんと調べてから書こうと思ったのだが、調べていると切りがない。
なので、このテーマに関して論点はいくつかあるとは思うが、全てには触れず、率直に思っていることを書こうと思う。
政治的な話題には詳しくはないので、詳しい人からみたら考えが浅はかだし、多分前提知識が欠けていたりしてトンチンカンな議論をしているかもしれない。
その辺は弁解のしようがないので、素直に受け止めるしかない。
集団的自衛権の行使容認賛成の人の主張の一つは(他にもあるかもしれない)、隣の国が武力をもっていて脅威になりつつあるのに、自分の国は丸腰でいいのか、ということ。
それでは、守るべき平和も守れないのではということだと思う。
一方で、反対の人の主張の一つは、平和主義国として少しでも戦争への道を進みかねないようなことはすべきではないということ。
よく引用されるガンジーの非暴力、非武装を貫き平和主義を貫きなさいと。
非暴力非武装で平和が維持できるのならそれが一番いいのは明らかなわけです。
そんなことはわかってはいるけど、現実にはなかなかうまく事が運ばないから困っている。
わかってはいるから、自分なんかよりもよっぽど頭のいい人たちが昔から知恵を絞っているのにも関わらず、実現できていないということはかなりの難問だ。
賛成派の人達はよく家族のたとえを引き合いにだす。
「あなたの隣人が凶器をもってあなたの家族に危害を加えようとしているのに、あなたたちの家族は全員丸腰で呑気に構えて生活するのですか」と。
自分としては、わかるようなわからないような。
言わんとしてることはわかるが、これを国家同士のスケールに一般化できるかどうかというのはそれほど自明ではない気がする。
なぜ一般化できない気がするのかというのは、自分でもまだよくわかっていないが。
今回の例に限らないけど、比喩やアナラジーで説明をするということはよくあるが、それが適切な適用になっているかどうかというのは慎重に検討しなければならないと思う。
あくまでも比喩やアナラジーは理解の補助でしかないのに、本来理解すべき対象と立場が逆転して、比喩やアナラジーの枠組みに押し込めようとしているのではないか、と思う事がある。
それをやりだすと理解できたつもりにはなってしまうので、危険だなと思う。
また一方で、思想の多様性という面から考えてみる。
反対派の人達はガンジーの非暴力主義が根底の思想に流れているのだろう。
そういう意味で言えばこれも一つの思想であって、それ以外の思想があることも不思議ではない。
仮に反対派の人達の意見を汲み非暴力非武装を貫いたとする。
それは、賛成派の人達の思想を排除しているということにはならないか。
だから結局結論はでないままで、もやもやした結びになるが、どちらの意見も尊重してどちらの立場の人も納得できるような案があれば一番望ましい。
なかなか難しいところではあるが。
2014年8月10日日曜日
ビアガーデン
友人から飲みに行かないかーと誘われていていたし、ビアガーデンに行ってみたいと思っていたので!
夏だし、夏しか行くチャンスのないビアガーデン!そしてここ何年かは全然行っていなかったので!
行ったのはここ。池袋。
にしても風が強かった。。。ビアガーデンってあまりいったことがないからよくわからないけど、こんなに風が強いものなのか。。。気が散ってしまいあまり集中できなかった。そういう意味では若干後悔。
とはいいつつもジョッキで4杯か5杯飲んで十分楽しんだのだけれど!
ここ最近は、全体的な体力が少し落ちていて、2杯飲むだけでもすぐ酔っていたのだけれど、最近運動をはじめ体力がアップしたこともあってか、普段よりお酒を飲んでもあまり酔いませんでした。
このあと二次会へ行くことになるのですが、二次会は飲み会ではなく喫茶店へ。
このあたりの時間から、なぜ自分が彼女ができないのかというお悩み相談へ笑)
趣味とかないのかと聞かれたので、クラシック音楽や読書、数学、プログラミングと答える。
まあ数学とプログラミングはともかくとしてクラシック音楽と読書は高尚でいいじゃないと評価を頂く。
しかし、いつもどういう話をするのかと聞かれたので、それを話してみるとマニアック過ぎてわからないと言われる始末。
趣味は高尚だけど、ニッチなところをあえて攻めにいっているのか、他人とずれているのか、専門的すぎてわからないとのこと。それじゃドン引きだよとのこと。
うーん、自分的には周りに自分よりもっと詳しい人がたくさんいるので、全然ものを知らないなあと感じることばかりなのだが。
まあ自分が詳しいこととあまり詳しくない人との話題にすることは別だよということですが。
スポーツとかの趣味はないのと聞かれる。
趣味ではないが、家族が野球好きなので、まあそれなりに詳しいと答える。
好きな選手を聞かれるので答えるが、山本昌、工藤公康、古田敦也、鈴木尚広、川相まさひろ(漢字わからない)など。
渋い。。。言われてもわからない人の方がおおそうとか言われる。
ベテランというか職人気質な人が好きだよねとか言われる。
ええそうですとも。
そんな会話を繰り広げていると、大して詳しくもないくせにあえてニッチなところを攻めることで、詳しいふりをしているのか。。。とも思えてきて自分がなさけなくなってくる。
そんな気もしてきてしまうので、ニッチなところだけではなく、広く深く知った上で、それでもニッチなところが好きと確信的に言えるようになりたいな。
2014年8月1日金曜日
充実した一日
最近は休みの日でも、仕事の日よりも少し遅い程度に起きられて一日で使える時間がとても多く感じる。
まず、朝出かける前に済ませたのがクレジットカードの返済。
カード自体はずいぶん前に有効期限切れになっていたのだが、残債だけが残っていてリボで少しづつ払っていた。
他にもいくつかカードの支払いやローンの支払いをもっていて、そんな状態にも関わらず収入はそれほど多くはないという、なめた状態。少しづつしか払えないのです。
ここにきて残債もだいぶ減ってきて、一方で収入は安定してきたので、一気に返してしまいました。これで一つ気にすることが減って、気が楽になった。
残りの残債ももうじき返せるので、少し前が明るく見えてきた。
その後は、理容室へ。
プロフィールにも書いてあるように、二年前までは札幌にいました。
それ以前は東京にいて、その時には小さい頃からの行きつけの美容室に通っていました。
特に、別の店に帰る理由もなかったので。
札幌へ行くと、当然そういう行きつけの店はないので、機会がある度にいろいろな店に行ってみるしかないわけです。といっても二年間しかいなかったのでそれほどいろいろな店に通ったわけではありませんが。
その後東京に帰ってくるわけですが、せっかくなのでいろいろなお店を開拓して新しい行きつけの店を見つけようと思いました。
そんなわけで、2年ぐらいいろいろなお店の開拓が続いております。
いいな、雰囲気が合うなというお店はいくつかあり、何度か通ってはみていますが、一方で新しいお店にもどんどん挑戦している感じです。
今日行ったお店は4500円でヘッドスパとマッサージつきというお手頃価格。雰囲気もよく落ち着いた感じでした。自分は元気が良く、いまどきの若者風な雰囲気より落ち着いた感じの方が好きみたいです。
理容室でサッパリしたあとは、プールへ。
東京体育館のプールへ行ってきました。
8月だから、というわけでもないのですが、毎年夏には数回は通っているのですが、数回程度しか通えずいつの間にか夏が終わってしまっているので、今年も行ってみようと思いました。
それに体力もつけたいなと思ったので。
いざ泳いでみると、体力が落ちているな。。。
100m泳いだだけで息がぜいぜい。300mぐらい泳いだらあとはとても泳ぐ気力が起きませんでした。
ただ、トレーニングしたな!という感じは得られたので満足です。
これは継続が大事ですね、続けないと体力はつかない。
そんなこんなで、新宿へ行き少し買い物をして帰宅。
なんか疲れてはいるけれど気分はリフレッシュされました。
明日からも頑張ろうと思います。
2014年7月18日金曜日
新しいバッグ
それがこれ。
いままでは、大き目のトートバッグを使用していました。
それを変えた理由は3つあります。
一つは大した理由ではありませんが、単に古くなったから。
糸もほつれてきて、全体的にボロボロになっていました。
二つ目は、姿勢にとても悪影響だと思ったからです。
自分は右利きなので、バッグを右にかけていたのですが、無意識に右肩があがってしまうのです。
なで肩のため、力を抜いていると、すぐにバッグがずり落ちてしまう。なんとなくずり落ちそうな感覚が嫌なので、肩をすこし挙げて、、、という具合になってきます。
そんなことをしているうちに、肩全体に力が入ってしまい、しかも右がすこし偏ってしまうという悪循環。
それが、全体の姿勢にも影響しはじめ、歩く姿勢にも影響がでていた気がする。
そんなわけで今度は斜めにかけるタイプのバッグを購入。これなら、肩に力をいれずとも、ずり落ちる心配がない。
今までは、バッグが自分の後ろ、目の届かない場所に行くことがとても不安でした。
なので、目の届く場所かバッグの入り口を自分でふさげるようなタイプを選んできました。
チャックだと気付かないうちに勝手にあけられるのではないかと心配で心配で。
でも、少なくとも日本であれば、それほど心配する必要もないのかなと今更ながらに気付きました。
それにバッグのチャックをあけられてしまうほど近づかれれれば、気付くだろうし。
そして三つ目は、それほど荷物を収納していないことに気付いたからです。
自分の場合、普段出かける際には財布と飲み物とパスポートぐらい。
それに対して、トートバッグをいうのもおおげさすぎる。
もっと軽いバッグで身軽に行動しようと思ったしだいです。
それに無駄に大きいバッグをもっているのも、なんか恰好悪いしね!
2014年7月16日水曜日
ARGELANを使ってみた
2014年7月10日木曜日
『トランセンデンス』
台風も近付いていて、明らかにいつ天気が崩れてもおかしくない空だし、平日でもあるので空いているだろうと思い映画館に行きました。
しかし、想像していたよりもガラガラ!前に行った時も映画館自体は混んでいたけど、『トランセンデンス』の上映だけは空席ありの状況だったし、あまり人気ないのかしら。
人工知能や技術的特異点扱った作品で、興味ない人は興味ないテーマだし、宣伝もそんなにやっていなかったから、こんなもんかしら。
ネタバレしない範囲で感想を。
人工知能を扱った話ではあるけれど、ナノテクの話も少し出てくる。
レイ・カーツワイルが『ポスト・ヒューマン誕生』で書いていたようないわゆるGNR
(gene nano robot)のNとRの話がでてくる。いやもしかしたら見逃していただけで、Rの話もでてきていたのか?
そういう話を知らなくても、科学技術に興味がある人なら興味を持って見れると思う。
人工知能や情報世界、テクノロジーを扱った作品では、マトリックスシリーズ、ターミネーターシリーズ、あとは『サマーウォーズ』とかが個人的にはすぐに思いつく。
もちろん他にもあると思うけど。
そういうのとはまた違った扱いで興味深いです。
2014年7月7日月曜日
ITリテラシ
そして買い替えたのもガラケだ。
母はITリテラシーがあまりない。個人的には、だからこそ下手にガラケを使うよりスマホのほうが使いやすいのではないかと思うのだが、使いこなせないだろうからという理由でガラケを買ってきた。
母は携帯の操作に限らず、IT関係が少し弱い。
今、仕事ではテクニカルサポートをやっている。電話をかけてくる人のITリテラシーはさまざまで自分よりも詳しいんではないか、というような人もいれば、そんなことも知らないで使っていたのかというような人もいる。
もちろんそれは程度問題であって、自分より詳しい人からみれば、自分だって「そんなことも知らずに使っていたのか」と驚かれるかもしれない。
トラブルや不具合が起こったときにどうすればいいのかわからないというのは、まだわかるとしても(あくまで自分視点で)、基本操作もままならないというのが個人的には解せない。
少し視点を転換してみると、自分は基本操作は問題ないし、周囲の話しを聞いて比較してみると、どちらかというとIT関係に詳しいようである。
しかし、それは機械に触れている時間が長いから、なんとなく覚えてしまうのは当然といえば当然なのかもしれない。
ITに不慣れな人が、直観的に操作方法がわからない、迷う、というのは、むしろデザインの方にもまだ改善の余地があるということの裏返しのようにも思う。
むしろ、こんなにも日常生活の中に溶け込んでいるのに、使い方すら怪しいというのはそれはそれで怪しい。田舎とかでは話が少し変わってくると思うが、都市圏では生活に溶け込んでいるといっても言い過ぎではない気がする。
普通生活に溶け込んでいて日常的に使うものであれば、なんとなく直観的にわかりそうではないだろうか。しかしそれがわからないというのは、やはり改善すべき余地があるということだろう。
かなり上から目線で書いてしまったが、「たまたまIT分野に関しては弱かっただけではないのか」と言われたら、そうかもしれないというしかない。
自分だって、日常生活に密接に関係していそうだけど詳しくない分野だってある。
特に政治・経済・法律・歴史など。
深く知ろうとすればキリがなく、それぞれの分野だけでも広く深くなりすぎてしまっている。
しかし、そういう社会の約束事という高い層の話ではなく、技術的には高いものが使われているのかもしれないが、生活の道具という低い層の話なのだから、やはりリテラシーが低い人でも直観的に使えるようでなければならないと思う。
2014年7月5日土曜日
世界観
youtubeでオススメされていたのを皮切りに止まらなくなり、とばしとばし面白そうなところだけピックアップし、概ね半分程度は見たと思う。
やっぱり自分のツボは、組織編とコ哀の掛け合い。
ドラマやアニメでちょくちょくはまることがあるのだが、自分なりにいくつか傾向がある気がする。
世界観がしっかりしていて、登場人物が多く人間関係もあるような話は割と好きだ。
例えばドラマでいえば『相棒』とか。
なんだかもう一つの現実があるようで、想像が膨らむし、展開が気になる。
お気に入りの話でも、いつかまとめてみようかしら。
2014年7月4日金曜日
半年が過ぎて
一か月以上も期間があいてしまった。年初には毎日更新すると宣言していたのに、これは空きすぎだ。
6月が終わり7月になり、ちょうど半年も過ぎたところなので体制の立て直しがてら半年を振り返ろうと思う。
年初に、自分は次のような目標を立てた。
①継続と習慣
②アウトプットを大切に
現在まともに就職もできず、派遣社員という不安定な立場で、ふと自分はなにができるのだろう、なにがアピールできるのだろうと考えてみる。
なにも特筆すべきことがない。なにかを欠かさず継続してきてそれなりに自信をもってスキルがあると言えるわけでもない。
気付いていないだけで継続していることはあるのかもしれない。
でも意識をして継続することによって自身もつくだろうし、それが習慣となり自然にできるようになれば、なにか底上げになるかもしれない。
なにかすぐに解消するための方策ではないが、すぐに取り掛かれるのはこんなことだったのだ。
少し具体的に言えば、英語とブログ、数学である。
同様に、就職もできず、派遣社員という不安定な立場。東京都の就職支援事業などにも参加したりしたこともある。
そんななかで、社会人とはなにかを考えてみた。
さまざま定義はあるだろうが、一つ自分なりに考えていることがある。
『価値を産み出していること』
そういう基準でみてみると、現在は主にコールセンターで働いているわけだが、いまいちピンとこない。
確かに、大切な仕事ではあるけれど、『生産している』という言葉とは少しはずれている気がする。
そんな状態なので、自分は社会人ではないのではないかと不安に駆られていた。
とりあえず、自分なりになにかを産み出そうということで、まずは手軽に始められるブログからスタートすることにした。
今までのインプットばかりに偏っていた気もするので、いろいろな場面でアウトプットを意識して取り組もうと思ったのだ。
こんなもっともらしい目標をたてたはいいものの、年初の半月ほどは無職。
前の仕事を12月で退職。実家暮らしなのだが、家族に気付かれないように毎日仕事へ行く振りをして、図書館へ向かう。
時間は有り余っていたので、このころは問題なく目標を達成することができた。
一月の半ばに仕事がみつかる。
その頃からは、数日途切れることはあるものの、継続はできた。
今までは、無駄に完璧主義にはしってしまい、一日でも途切れたらそれでおしまい、となっていた。
結局それ自体が意味のないことだと気付き、数日途切れたとしてもまた再開して続けていくことが、総合的には途切れてしまうよりもいいことだし、心理的にもストレスにならない。
4月末頃になるとブログが途切れ初めてくる。
ネタも切れはじめ、また書くのにも時間がかかる。
それまでは、比較的毎日ブログを(日本語と英語で)書いて、英語に触れて、できれば数学にも触れていたのだが、仕事から帰ってきてすべてやるのは大変である。
一応ブログ→英語→数学と優先順位はつけていたのだが、数学までやろうとするとそれだけで一日終わってしまいその他になにもできない。
今度はそれが焦りになってきた。
そして他に手をつけ始める。
ネタ探しの言い訳として哲学や心理学の本をかじったり、焦ってしまい数学の優先順位をあげてしまったりした。
目移りして崩壊するいつものパターン。
こういうのに気付くと、自分は熱しやすく冷めやすい、目移りしやすい人間なんだなと思う。一方で分野によっては、ずっと興味をもっていたり。
こんなサイクルの繰り返し。
なおさなきゃなあ。
少しブログを休んでしまったので、最近はまたネタが増えてきた。
いろいろ書きたいことはある。
でも、しばらく書いてないと、ネタをどう料理しようかすぐに決まらないし、なかなか筆もすすまない。
このエントリーも、まとまりがないのは承知の上で、考えながら書いている状態。
でも半年たったので、いろいろ心を入れ直して原点に戻って軌道修正しようと思う。
2014年7月2日水曜日
平日なのに。
一か月ほど前に、どこかのビルで垂れ幕をみて「トランスセンデント」は「超越」って意味だっけかと気になっていた。
最近の公開直前ではCMなども頻繁にやっていたので、無性にみたくなったのだ。
今日は仕事も休みなので、見に行こうとした。
起きた時間が遅く、14:00台の回になんとか間に合うように家を出た。
映画館に来てみたものの、平日だというのにすごい人の量。チケット売り場の行列もすごいならんでいてとても開場までに購入できそうにない。
かといって次の時間まで待つのも時間の無駄に感じる。
座席の空きはまだあるようだが、この状況をみると割と混んでそうなので、もう少し空いているときにまた見にくることにした。
そのあとは定期券を購入。仕事帰りに寄り道をしたいところがあるのだが、経路的に少し通勤路とはずれている。そのためどのような路線で定期を買うか迷っていた。
しかし最近いい経路を思いつき、値段なども計算し検討を重ねたのでいよいよ定期を購入した。
最後は図書館によって、本を借りて帰宅。
借りた本は以下の3冊。
『ほんとうの構造主義』
『新C++言語入門(シニア編・上)』
『マンガでわかる電気数学』
他にも読まなきゃいけない本があるのでどこまで読めるか微妙ですが、気楽に読み進めようと思う。
2014年5月8日木曜日
python3.0以降のprint文
pythonについて、つまづいていたことが解決したので、覚書の意味も含めて書いておこうと思う。
ことの発端は、AOJの問題を解いて練習していたときのこと。
最初のうちはサイトの中でコンパイルが通るかどうかだけで、正解不正解を判断していたのだが、それでは効率が悪いと思い、一度自分のPCでコンパイルをしてみて、そのうえで提出する方針に切り替えた。
切り替えて最初の問題。
以下のコードを実行しようとするにもsyntax errorがでる。
while true: H,W = map(int,raw_input().split()) if W==0 and H==0 : break print '#' * W + '\n' print ('#'+ '.'*(W-2)+ '#'+'\n')*(H-2) print '#'*W + '\n'
出てくるエラーはこれ。
print '#' * W + '\n ^
いろいろ原因を探るもわからず。
『初めてのpython 第3版』の文字列の章も見てみるが、特にprint文や文字列の扱いは間違っていないように見える。。。そんな感じで、行き詰っていた。
しかし、もっとよく調べてみると書いてあった。
ver3.0から仕様が変わったらしい。
「はじめに」の14ページからの「python3.0からの仕様変更について」の部分を順番に読んでいくと、
printはステートメントではなく関数になり機能が増える。print x, yではなくprint(x, y)と書くようになる。と記述がある。
あるいは、本文の第10章[pythonのステートメント」218ページの脚注に
python 3.0では、printとexecはステートメントではなく関数になる予定です。とある。
それを踏まえて、pythonインストール時についてきたマニュアルもみてみる。
マニュアルを開くには例えば以下の方法で開く。
-
デスクトップのスタートボタンを開き、「すべてのプログラム」を表示すると、その中に「python x.x」のフォルダがある(自分はpython3.3だったので、python3.3というフォルダ)。
その中の、「Python manuals」というファイルがある。
-
あるいは、デスクトップのマイコンピュータのアイコン(自分はwindows7なので。XPとかの人はコンピュータというアイコン)を開き、C:のドライブを開き、その中の「Pythonxx」というフォルダを開き、その中の「Doc」フォルダを開き、その中の「pythonxxx.chm」というファイルを開く。
開いたら、画面の左側の「What's New in Python」の階層を開き、「What's New in Python3.0」をクリック。
少し画面を下にスクロールすると、「Print Is A Function」とという見出しがあり、その旨の記述がある。
ということで、print "Hello world" ではダメで、print("Hello world")と書くらしい。
2014年5月6日火曜日
東京巡り2
東京巡り1
2014年5月3日土曜日
『おおかみこどもの雨と雪』
先日、『おおかみこどもの雨と雪』をみました。
すごいいいお話でした。
今回みてみて初めて知ったのですが、話は、タイトルにもあるおおかみこどもの雪ちゃんが、親のどうやって育てられたかを語っていくという形式で進んでいくんですね。
しかも、母と父のなれそめのくだりは、かなり前半の方だけでまとまっているんですね。このあたり、とくにセリフもなくBGMと映像だけで進んでいくので、テンポがよくてよかったです。
その他、考えたことを書いてみようと思う。
おおかみと人間の両面性
母親である花は、雪と雨がおおかみこどもであることから、都会での生活に限界を感じ、田舎へ引っ越そうと考え始めます。
そんなとき、ふと、狼と人間どちらで生きていくか、こどもたちにたずねています。多分、その場では特に返事を期待して質問をしたわけではないと思いますが。
今回の場合は、狼と人間だったので、どちらか選ぶ必要があったような気もしますが、これが狼と人間ではない場合はどうでしょうか。例えば職業とか肩書きなどです。
自分は現在フリーターなので、大したことは言えないのですが、いろいろなビジネスの記事などをみていると、現代ではなにか職業や肩書によって枠でくくってしまうことがなにかリスクを伴っているというような話も目にします。
例えば、エンジニア兼デザイナー兼研究者とか。プログラマ兼プロジェクトマネージャ兼コンサルタントとか。自分はエンジニア方面に興味があるので、例が偏ってしまいましたが、その他例をあげるとするなら、例えば政治家兼弁護士とかいますよね。医者兼作家とか。医者にしたって、複数の専門をかけもちしている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
自分の尊敬している石井裕先生はこんなこともいっています。
自分は理系だとか、自分はネクタイをしめているサラリーマンだというように、「ラベル」を貼った段階で、既に決定的に、自分の戦う空間を狭くしてしまっている。
— Hiroshi Ishii石井裕_BOT (@ishii_mit_BOT) 2014, 4月 6
力を存分に出したい、突出した成果を出したいと考えるエンジニアには、エンジニアであることを辞めよ、と言いたいですね。エンジニアというラベルを張った段階で、もう壁ができている。
— Hiroshi Ishii石井裕_BOT (@ishii_mit_BOT) 2014, 1月 16
創造性を持つためにはあらゆる価値観を持ってくる(チームとして集める)だけでは意味がない。その価値観が個々人で混ざり合いアイディアを徹底的に批判できる環境が重要である。一人が芸術家であり研究者でありビジネスマンである、そこに創造性の発露がある。いわば綜合芸術であり総合格闘技である。
— Hiroshi Ishii石井裕_BOT (@ishii_mit_BOT) 2014, 1月 2
今回は狼と人間だったので、両立というのは難しいので、どちらかを選ぶ必要がありました。いや、もしかしたら両立していく方法もあったのかもしれませんが、わかりません。
なぜ、難しいかといったら、人間界の側で狼と共に生活していくという常識がないし、狼人間なんていう存在がいることすら知らないからです。そんな状態のところに、ただの狼が入るだけでも混乱するのに、狼人間なんて入っていけるはずがありません。
今書いたように、共生ができないのは受け入れる側に、準備ができていないからです。心の準備ですね。
そういう意味では、もし自分がなにかを受け入れる側になったときに、なにか自分の中にない観念などを受け入れるときにも、安易に拒絶するのはよくないかなと戒めにも感じました。
不安や弱さについて
最終的には兄妹それぞれ別の道を歩むことになります。姉の雪は人間として、弟の雨は狼として。
幼い頃の様子が、雪は虫や獣を恐れずとても活発で、雨はその逆だったので、意外な結果。
小学校にあがってから、雨は授業も上の空で、徐々に学校へ行かなくなります。そのかわり山へ入り、狼と共に行動しいろいろ学び始めます。
学校に初めて登校するシーンにしろ、授業が上の空であることにしろ、初めから学校に興味がなかったような気がします。
なんで興味がなかったんんだろうか、と考えてみると、それは不安だったからではないかと思います。
先ほど書いたように、雨は、雪とは対照的に虫や獣などは苦手としていたし活動的ではありませんでした。
そういう意味で、「自分は人間であると同時に狼でもあるのに、どうしてこうなんだろう」と不安を抱えていたのではないかと思います。それは狼という側面としての自分が居場所を上手く獲得できないことへの不安です。狼としての自分という一つの側面ではありますが、どうやって生きていくかという死活問題だったから、学校の授業には興味がなかったのだと思います。
では雪は不安はなかったのでしょうか。
雪は学校で、転校生から、なんとなく他の人と様子が違う、と言われてしまいます。それから、転校生をなんとなく避け始めるのですが、ある日追いつめられた拍子に一瞬狼となって、転校生を怪我させてしまいます。
ここで、親が呼び出しをされます。帰り際、今まで親から狼の姿を出さないためのおまじない(魔法ではなく、自己暗示みたいなもの)を教えてもらって、狼の姿を出さないようにしてきたのに、そのおまじないが効かなかったと泣いてしまいます。
このシーン結構重要だと思うのですよ。
雪は雪で不安を抱えていたのだと思います。
なぜ泣いてしまったのかというと、今まで人間の世界で居場所を獲得しようと努力してきたのに、狼の姿を見られてしまったことと、相手に怪我をさせてしまったことで、居場所がなくなるのではないかと不安になったからではないでしょうか。
雪は幼いころは非常に活発だったわけですが、では雪は狼としての不安は克服し、次の段階として人間の世界での不安に向き合っていたのでしょうか。
それとも狼と人間のステージの違いという問題ではなく、雪と雨のそれぞれの志向の問題でしょうか。
そのあたりはよくわかりません。
その他
その他に印象に残っているシーンがあります。
まず、雨が「先生」と呼ぶ狼が、もうすぐ死んでしまうから、自分が代わりにならなければならないといったとき。母の花が「雨はまだ10歳で、狼でいったら一人前かもしれないけど、人間だと。。。」と言葉が淀んだシーン。
花は狼としても人間としてもどちらの選択肢も尊重して育ててきたつもりではいたのでしょう。でも、言葉が淀んだ瞬間に、無意識に人間を中心にして扱っている自分に気づいて言葉を継げなくなったのでしょう。
これもなかなか耳の痛い話で、どの選択肢も尊重してはいるつもりでも、無意識にどれか一つの選択肢、あるいは視点で相手を枠に嵌めてしまっていることも結構あるような気がします。気をつけなければいけないなと思いました。
次に、大雨がきて、学校に生徒それぞれの親が迎えにきて下校するシーン。
花も家から迎えに行こうとするのだが、一方で家にいた雨は山のことを心配して、山に向かってしまう。そこで、雪を迎えにいくのではなく、雨を追って山のなかにはいっていきます。
これは、雪も迎えに行かなくてはいけないのだけれど、雪は待っている人なので、どこかへ行ってしまう心配はない。しかし一方で、雨はこのまま二度と会えないような気がしたから、雨を追うことにしたのでしょう。
次に、学校にて、学校の先生が全員帰宅したか見回りに来たシーン。
転校生草平と雪は教室の机の下に隠れるのですが、見回りが去ったあとに、雪の「なんで隠れたの?」という質問に対し、返事はしない。
これはなんで隠れたんだろうか。そしてなぜ返事をしなかったのだろうか。雪と一緒にいたかったから?
そして雪の「狼であることの告白」。それに対し、「最初から知っていた」と草平。
なんだろう。こういう決定的な秘密だとか、あるいはコンプレックスを抱えていても、それを含めて受け入れる、受け入れてくれるっていう関係は憧れるな。こういうシーンは泣ける。
2014年4月29日火曜日
『PINA/ピナ・バウシュ踊り続けるいのち』
2014年4月19日土曜日
『11人目のストライカー』
2014年4月13日日曜日
『銀翼の奇術師』
2014年4月12日土曜日
エラーコード
MAKE Version 5.2 Copyright (c) 1987, 2000 Borland
brc32 -r -foDebug\test.res C:\Users\hiroshi\Documents\program\test\test.rc
Borland Resource Compiler Version 5.40
Copyright (c) 1990, 1999 Inprise Corporation. All rights reserved.
Error test.rc 7 10: Cannot open file: stdio.h
** error 20018 ** deleting Debug\test.res
Compile End !! (Elapsed time 0:01.779)
-L"c:\borland\bcc55\lib"
2014年4月11日金曜日
オススメのお店(カレーその2)
メニューなどはなく、「特製チキンカレー」の一品のみ。スープも付いてきます。
スパイスがきいていておいしいです。
それに、多分トマトかなにかも入っている感じです。それもアクセントになっていて何度食べても飽きません。
っと。。。HPページをみてみたら、なんとトマトと玉ねぎとヨーグルトだけでつくっているそうです。
Chicken place
値段は680円で、この値段で美味しいカレーが食べられるのはお得だと思います!