2014年4月4日金曜日

戦力外通告

春になり、ずいぶん暖かくなってきた今日この頃。

四月から環境が変わり、新たな環境に期待と不安を抱いている人が多いであろう。

そんな中、自分は今の職場にクビを宣告された。
いや、正確には、期日を設けてそれまでに雇用契約を続けるかどうか判断するという段階であるが。



コールセンターでテクニカルサポートをやっているわけだが、入社してから、それなりに期間が経つのだが、未だに電話に出させてもらえない。

同期がいないため、比較対象がないので研修進度の比較ができないが、それでもなんとなく遅いんだろうなとは感じていた。

さすがに少し不安になってきて、これじゃ給料泥棒と言われても仕方ないなと思い始めてきたところだったので、クビの通知はそれほど驚かなかった。



それにどうやら職場の環境も自分にはあっていないようだ。

新しい環境に慣れ始めた頃にいわゆる五月病というものに陥る人がいる。

現在の職場が辛いなと感じることは、この短い期間であるが既に何度かあった。

ただそれはこの職場に限ったことではなく、先に触れた五月病の一種かと思っていた。


いい年の大人が、そもそも五月病になんか陥る時点で未熟だとは思うが、さらに未熟なのは、単なる五月病と本当に環境に不適応なのかの区別の仕方が未だにわからないということだ。

単なる五月病なのであれば、それは甘えでしかないので、仕事は仕事と割り切るべきだが、環境に適合していないのであれば、また話は違ってくるだろう。

今の自分の状態が五月病なのか、環境に適応していないのかわからなかったので、クビの宣告はある意味、強制的にこの問題に向き合うきっかけを与えてくれた。




今の仕事をやっていて思ったことなどがいくつかある。



一つは、「説明をしなければいけない」という脅迫観念を自分はもっていることだ。

「その説明は必要か」とトレーナーによくいわれる。

多分、自分自身に自信がないことが原因で、相手はこのオペレータが理解をしていないなどとは思っていないにも関わらず、自分のほうが「相手に理解していないと思われている」と思いこんでしまい、それを解消するために、また理解しているよとアピールするために不要な詳細を説明しだしてしまうのだと思う。


それらの理由は、数学をやっていた時の理由や指導のされ方にも多分に影響をうけているような気がしてならない。


「説明をしなければいけない」という脅迫観念があるということは、その脅迫観念をエネルギーとすることで、むしろ研究者などは向いているのではないかと、無理矢理こじつけをしてみたりもする。



二つ目は、それなりにパソコンには慣れているつもりではあったにも関わらず、仕事ができなかったのでショックを受けたことだ。

実際、周りの応対を聞いてみると、もちろんそれなりにパソコンに詳しくなくてはならないが、それよりもパソコンが詳しくない人に分かりやすく伝えられるかが重要だと思った。

パソコンにある程度なれている相手であれば、どの部分をクリックするのかというのが常識的に分かってくれるが、そういう相手ばかりではないので、逐一画面遷移を案内する必要もある。

普段なんとなく操作できてしまっていることでも、手順として、わかりやすい言葉で説明できるようにしておく必要がある。

そういう意味では、パソコンやコンピュータに詳しいからといって、分かりやすい案内ができるかどうかとはまた別の話なのだなと思った。


最後に自分はまだまだ考えが甘く未熟だということを痛感したことだ。

仕事はまじめにやっていればよい。そのように思っている節があったように思う。

まじめにやるのは当然である。

というかまじめにやっていなくても、結果が出ていればいいのだ。

しかし自分の場合は、結果を出せない逃げとしてまじめにやるという方向に逃げていたのではないか。

受信のコールセンターなので、結果というのが目には見えにくいような気もするが、少なくとも現在の自分では結果が出せていないのは明らかだ。


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