2014年1月7日火曜日

私の英語学習法

今日はネタがないので、自分が英語をどのようにして勉強しているか紹介しようと思う。

ただ紹介に値するほどの勉強法というわけでもないだが。

自分は文法があまり好きではない。

理由ははっきりとはわからないが、強いて挙げるなら高校一年生のときの英語の授業に端を発すると思う。

当時は重箱の隅をつつくような文法ばかり講義された印象があり、にも関わらず英語がなかなか読めるようにもならない。

読めるようになっている状態をイメージ出来なかったので、文法を勉強する意味がわからず嫌いになった。

その頃から漠然とではあるが、ツールとして英語を使えるようになる勉強法は何かと模索するようになった。

多少の紆余曲折はあったものの、現在は基本的には大量の英語に触れるという方針で勉強をしている。

かの夏目漱石も大量の英語に触れることで英語を習得したようだ。

ある程度英語に慣れてきたら文法をやってみるのもいいかもしれないが、最初から文法だけというのはどうなのだろうか。

子供の言語習得過程と成人のそれを一概に比較することはできないが、やはりある程度大量に触れる中で習得する必要があるのではないか。

まず、一番のメインは多読である。

SSS英語学習法研究会というところが提案している学習法で、自分がそれまでにやってきた延長線上にあることもあり共感して、多読に取り組んでいる。

多読用の教材というのがあり、大型書店やあるいは大学図書館などにはあるのだが、それを使い易しい本から難しい本へ徐々に徐々にステップアップをしていく。

まあ詳細は
辺りをみてもらった方が早いので省略する。

基本的には語彙などはこれで習得。

但し、TOEICやTOEFLのよう試験のためにある程度語彙を増強する必要があるときは別途単語帳などを使って勉強するが、基本的には多読では辞書は一切ひかない。

文脈や状況から単語の意味がだんだんわかり、日本語を介さず直接イメージを結びつくようになる。

なので自分なんかは、示している内容はわかるが、それに該当する日本語がわからないといったことがたまに起こったりもする。

まあそれは日本語の語彙の問題か。

それとリスニングには、多読教材についてくるCDやTEDというサイトでいろいろプレゼンを聞くことで勉強している。

ライティングは最近始めたばかりだが、Lang-8というSNS型の相互添削サイトを使っている。自分の勉強している言語を添削してもらう代わりに、自分は日本語の添削をしてあげるのだ。

スピーキングは正直あまり取り組めていない。一度英会話カフェにいったことがあるがそれっきりだ。しいて言えばシャドウイングをしているぐらいか。

勉強を始めてから、当面の目標を「The Giver」「Holes」、「マチルダは小さな大天才」やシャーロックホームズシリーズを読破することに置いている。








「The Giver」というのは、翻訳版が存在していてそれを中学生のときに読んで考えさせられたのだが、平易な言葉で書かれているのだが、当時読んだときも、今思い返してみても、なかなか深いテーマを扱っていたと思う。

ただいづれもまだ達成できていない。

道のりは長いようだが、頑張ろうと思う。

2014年1月6日月曜日

無力な自分

自分は何もできない、とふと思うことがある。

というのも実のところ自分は資格と呼べるものをほとんどもっていないからだ。

持っているのはせいぜい中学のときにとった英検3級、漢検準2級、数検3級ぐらいだ。

免許も持っていない。

大学時代、オーケストラサークルの活動に少々力をいれてはいたが、特に遊んでばかりいたというわけではない。

個人的にはそう思っているのだが、資格などをとるという発想があまりなかった。

今にして思えば、学生時代の残りの時間なんて考えずに突っ走っていたような気がする。

「まだ時間があるからいいや」という考えがあったような気もするし、そんな感じで呑気に構えているうちに、今度は進路の問題で忙しくなり資格の取得まで頭が回らなくなっていたのだと思う。

今にして思えばであるが、当時は大した覚悟もないくせに大学院へ行きそのまま博士課程へ進み研究者の道へ進もうと思っていたので、資格も特に取ろうとは思わなかったのであろう。

今仕事を探そうと思うとどうだろうか。

明確に資格を求められることはバイトや派遣の場合には稀であるが、スキルを求められた場合なにもできない自分に気づく。

いや、多分実際には他人よりできる部分もあるのであろうが、それを客観的に資格という形で示せないのだ。

自分の同級生と話をするとき、私は非常に熟考する、論理的であるといったことがよく挙がる。

とても真似できないと言われることも多い。

そういうものを客観的な指標として示せないので、それすらも本当に自分の長所なのかどうか疑わしくなってくる。

今更ではあるが、人生を甘く見積もっていたつけが今になってまわってきているのだと思う。

2014年1月5日日曜日

図書館の利用の仕方

今日は一日、図書館で過ごしていた。

今日は図書館の利用方法について思うことを書いてみようと思う。

自分は、杉並区、中野区、新宿区、渋谷区、都立図書館、国立国会図書館に利用登録をしている。(厳密には都立図書館は利用登録は不要だが)

まずは複数登録するに至った経緯を書こう。

以前、自分は札幌の大学院にいた。

そのころから、専門の本の値段の高さや、そもそも自由に使えるお金がないことなどから書籍代に頭を悩ませるようになったり、自宅の本棚に納まりきらなくなった本を眺めて、スペースの問題に頭を悩ませるようになっていた。

そんななかで、書籍の購入の必要性について考えるようになった。

それまでは、「本は身銭をきるものである」というような記述を、確か「三色ボールペンで読む日本語」で読み、余程一冊の値段が高い本でなければ迷わず買っていた。

目安としては5000円くらいまでならあまり迷っていなかったと思う。

しかし、文庫や新書ならまだしも、専門書を2冊ほど買ったらそれだけで一万円ほどにはなってしまう。

そんなことを、馬鹿な自分はお金の減るスピードが早いなー、なんてぼんやりしか考えておらず、気づいたのはずいぶん経ってからだった。

大学院に入って、一人暮らしを始め少しお金に余裕がなくなってきたことや、学科の図書館にある洋書などにも触れるようになると、専門の洋書だと一冊一万円ぐらいのものを目にするようになり、気の向くままに書籍を購入していたら、いくらお金があっても足りないなと絶望感を感じるようになっていた。

その頃には、建前上は「本を身銭をきるものである」といった言い訳をしながら、実際は単に「浪費をしたい」であるとか、「本を収集し、いつでも参照できるようにしたい」といったことが主な理由になっていた気がする。

そのときにこんなことを考えてみた。

もし、お金とスペースが無限にあったとして書籍を思う存分購入できたとしたら自分はどうしたいのだろうか?、と。

その答えは、入手困難な書籍などを含めいろいろな書籍を収集し、貸してほしい人がいれば自由に貸出などをして知識をシェアをしたいということだった。

所有権が自分にあったとしても、書籍の量が増えれば全てを手の届く範囲においておくのは不可能だと思うので、必ずしも近くにある必要はない。

それって、つまり図書館のことでは?自分はまさに図書館を目指そうなど、途方もないことを考えていたのだ。

私は図書館を作りたかったわけではない。

だが、自分が考えていた機能をもつ施設がすでに図書館として存在しているのだからそれを利用すればよいではないかという考えにたどりついた。

それ以来、図書館を積極的に利用するようになった。

2年間の札幌生活を終え東京に戻ってきてからは、それまであまり調べたこともなかった図書館の利用方法について調べてみた。

意外に便利になっていることに感動し、複数の図書館に登録をした。

さて、登録し利用してみての感想である。

まずそれぞれ区立の図書館に登録しているわけだが、区立の図書館といってもそれぞれ6つぐらいづつある。

一応それら全ての図書館が利用できる。

距離が遠い場合でも同じ区内の図書館であれば近くの図書館に取り寄せて利用できるので、実質的に区内全ての図書館の在庫を利用できることになる。

実際に自分の所有になるわけではないが、物欲をごまかし十分に満足させることはできる。

また実質的に無料で利用できるのもよい。(税金で運営されているはずなので、本当に無料なわけではないが。)

また最近はネットからでも予約ができたり、図書館のシステムと連携しているアプリなどもあるので非常に使い勝手がよい。

図書館についてさらにいろいろ調べてみると、区民として図書館の利用登録をしていれば利用できる大学の図書館もあったり、専門のテーマで本を収集している図書館もあったり、館内はとてもきれいな図書館があったりといろいろな図書館があるようである。

まだ行ったことはないが、北区中央図書館東京都現代美術館図書室などが気になっている。

探してみればいろいろ図書館があるようである。これらを有効に活用したい。

その他にも世界には美しい図書館があるようなので是非行ってみたい。


さて、では逆にどのような本であれば購入する必要があると考えているか、それについてはまたの機会にしようと思う。

2014年1月4日土曜日

「悟り」とはなにか

新年が明けて、少し遅れることはあったもののブログを更新してきた。

しかし、今日は一日中家にいたこともありネタがない。

起きたのも遅かったし、何より日本語で書いたあとにそれを英語に訳してLang-8にもアップしているので、やたら時間がとられるからだ。

慣れていないせいもあり、日本語で書くだけでも手間がかかるのに。

そういうわけで、今日は大学院へ戻ったあと研究したいと考えている内容について書こうと思う。

先日、奈良先端技術大学院大学の研究室を訪問した際に、研究したい内容が漠然としすぎていると言われそのあと、もう少し良く考えてみた。

自分がやりたいのは、少し恰好よくいえば「悟りの研究」である。

「悟り」と大げさに言ってしまったが、もう少し平易な言葉を使えば、「理解した」、「納得した」、「腑に落ちた」、「わかった」というような状態の研究である。

自分は大学、大学院と数学を専攻していた。

数学を選んだ理由としては三つある。

一つ目は発想の自由さ、二つ目は論理の厳密性、そして三つ目が自分自身の口喧嘩が弱いというコンプレックスだった。

これらももちろん嘘ではないのだが、もう少し掘り下げると、「なぜそういう風に考えるのか」ということを知りたくて数学をやっていたという結論に以前達している。

問題を解くことや、美しい結果を知ることは楽しかったが、数学的な真理を探究すること自体にはそれほど興味がなかったようである。

そのかわり、先ほど原因の一つとして「口喧嘩に弱い」ということを挙げたように、「なんでわかってくれないの!」であるとか、「わからずや!」といったことがずっと根本的な疑問としてくすぶっていた。

また時折自分の思考や行動などを分析的に振り返る際に、「なぜあのときは納得してしまったんだろう」と思うことがあったりもした。

それは他人に対しても同様で、「なぜそんな馬鹿げたことを納得してしまうのか、受け入れてしまうのか」といったことを思うことがあった。

それらがわからないため、唯物論的存在としてしか認識していなかった人間を、わけもわからずただただ複雑な存在として感じていた。

今では単純に唯物論的にみるといったことはないが、複雑な存在だと感じ不安になることはあるので、先に述べたようなことを研究し、自分の不安や違和感を取り除くと同時に、新しい発見をし社会に貢献をしたいと考えている。

具体的に研究したい内容としては、「わかった」という状態が、脳の状態としてどのような状態なのか、またそれを計算論的に定義できたとして、現在開発されているアルゴリズムは「わかった」という範囲に含まれるアルゴリズムなのか、またそうでない場合、「わかった」という状態で処理を行った場合、処理の効率性はあがるのか。

またそれを人間の脳にフィードバックをし、より速やかに「わかる」ようにするにはどうすればいいのかも研究をしたいと考えている。

オーケストラ仲間と新年会

一昨日に引き続き、昨日も新年会。
17:00から新宿で飲んでました。まだ新年の1月3日でしかも17:00ということもあり、普段と比べて人はかなりまばら。いや、そもそもこんな早い時間から飲んでる自分達がむしろおかしいのでは。。。

一緒に飲んだのは高校時代のサークルの仲間。先輩から後輩までいつも飲んでるメンバー5人。
毎度のことながら、酒に強いな笑)日本酒何合空けてるんだよ!3人で10合空けてたかな。

半年ぶりぐらいにある人もいて、近況を聞けてよかったな。

1件目で3時間半飲んだあと、2件目にカラオケに。自分はいつものようにGodknowsやBeatifulworld、きゃりーぱみゅぱみゅ、DANDAN心惹かれていく、胸がドキドキなどを唄いました。もっとレパートリー増やさなきゃなー。

そんなこんなでお開きが11時!さすがにそのあとは行きませんでした。

とりあえず年末年始の飲み会のラッシュは一段落。そろそろエンジンをかけていきますか。

それにしても内容がない投稿だな。仕方ない。

2014年1月3日金曜日

親戚と飲むことについて

昨日のうちにブログの更新をしようと思っていたが、お酒を飲みすぎてそのまま寝てしまったので今更新しようと思う。

昨日は伯父がきて、新年会をした。

新年会といってもただ飲んでただけだけど。

持ってきて頂いたワインを一人で一本空けてしまい、飲み終わる頃にはもうウトウトしていてとてもブログを書ける状態ではなかった。

意外と飲んでいる最中は飲みすぎという自覚がなく、あとから効いてくるので飲みすぎてしまう。

このパターン以前にも数回やっており、何回か失敗もしているので気をつけてはいるのだが、いまいち感覚がつかめない。

反省しなくては。

それにしても親戚がくるのはあまり好きではない。

友達などとの飲み会とは違い、自分から進んで会合に参加しているわけでもないのに、家に来られ数時間時間を取られる。

しかも最初のとっかかりとして何を話していいか困るし、その雰囲気もあまり好きではない。

さらに自分の近況などについても少なからず話さなければいけない。

放っておいてほしいと思う。

ただお寿司など普段食べられない料理が食べられるのは、いいところかな。

でも、まあ付き合いだし仕方ない。

今までお世話になってきたわけだし、そういう縁を無下にするわけにもいかない。

昨日話した内容は覚えている範囲では、NHKの番組の質の向上した話、オンデマンド放送の話、政治の話、WindowsやMac、LinuxなどのOSの話、身の上話、クラシックの話をしたような気がする。

飲み会の席の話なので、そんなに内容のある話をしたわけではない。

一つ一つを掘り下げると深くなりすぎてしまうので、掘り下げることはしない。

機会があれば。

そんな話をしながら、そのまま寝てしまい、そして今日はまた友人との新年会である。

先ほど気づいたことだが、昨日はNHKで大人のピタゴラスイッチをやっていたはずだ。

見るのを忘れた。それは悔しいな。

2014年1月1日水曜日

振り返りと抱負

さて、年が明ける前に2013年の振り返ろうと思っていたが、なかなか話題もなく考えていたら年が明けてしまった。
年は明けてしまったが、今年の展望を含めて昨年を振り返ろうと思う。

今書いたように、昨年は特に目立ったトピックはなかった。そのような意味で穏やかな年ではあったと思う。
しかし実は、話としては2012年の年末から続いているので、そこから含めて振り返ったほうが振り返りやすい。

2012年の11月時点で、私はある会社で新卒エンジニアの人材紹介事業に携わり、法人との紹介契約の獲得をしていた。
11月末で契約を更新するかどうか話し合いをした際に、今後どのように人生を歩みたいかということを話した。
その際に、「うちで働いた数カ月の間だけでもそれなりに結果は出しているし、君ぐらいの能力があれば結果なんかすぐ出せるよ。でも結果をだしてそのあとどうするの?今後辛くて心が折れそうになることもあると思うけど、そのときに心の支えになる志はなに?」と問われた。
自分の興味などを正直に話し、自分は学問的な方向に興味がありそちらへ戻る決心を話した。そして11月末で退職した。
12月に入ってすぐにとりあえずの仕事がみつかり派遣社員としてクレジットカード会社のコールセンターで働くことになり、そのまま2013年末まで過ごした。
ただ、それも仕事に対する時給の不満や資金計画のズレ、職場への不満などから年内で辞めた。

そういうわけで2013年の一年は特に変化はなく良くも悪くも安定していたということだ。
もちろん細かいちょっとしたイベントを挙げだせばキリはないですが。

ちょっとしたイベントからいくつか拾うのであれば、今年初めてTOEFLを受けた。結果は惨敗。基本的に語彙力が圧倒的に不足しているので、TOEFL TEST必須英単語5600という単語帳を使って勉強したのだがあまり進まず、一番の原因だった。今年1月にリベンジする予定なので、それに向けて前回の反省を踏まえ調整中。

それと、大学院に戻るということで、研究室の訪問をいくつかした。その中で自分の研究したいことが2013年末にはそれなりにはっきりと固まってきた感じだ。


さて今年はそれなりに忙しい年になりそうだ。
遅くとも10月には大学院へ戻ることを予定している。

2013年は資金計画の見積もりが甘く復帰が先延ばしになってしまったが、まず資金を貯める必要がある。

そして入試に必要なこともあるが、自分の実力をフィードバックするためにTOEICやTOEFLも積極的に受験しようと思っている。

そして専門の勉強も。


少し抽象的なテーマ課題としては、継続と習慣を目標にしようと思っている。
自分の弱点は継続や習慣が途中で一時停止することだと思っていて、2013年もそれは意識していたのだが、途切れてしまうことがあった。途切れてもまた再開はするのだが。
今年は改善し、何を継続習慣にするかはっきりと意識し、それだけは少なくとも守って行こうと思っている。
継続することが大切だと思うのは第一が英語とブログ。英語は一朝一夕では身に就かないし、ブログもある程度の投稿数を重ねるにはやっぱり一歩一歩積み重ねるしかないと思うから。またコンテンツ(コンテンツというほどのものかは分かりませんが。。。)を書くことによって見えてくるものもあると思うので。


というところで今年の決意を述べたところで元日の投稿としようと思う。