「ちょっと先の未来の自分を信用しない」
これが最近、心がけていることだ。
最近、カフェやファミレスで勉強することがマイブームだ。
これをカフェ勉やファミレス勉と呼ぶことにする。
スマホも最近はなるべく持ち運ばないように気をつけている。
仕事行くときでさえ持っていかない。幸か不幸か、今の仕事は業務中に携帯は使えないし、ロッカーにしまわなければならない。
そもそも、プライベートでも緊急を要する連絡がこない。
どうせSNSしかやらないんだったら、携帯電話もたなくてもよくない?ってことで、家に置いて外出する。
スマホもないので、カフェやファミレスでも勉強せざるえない。
こういう仕組み化って効果があると思った。
家で勉強しようと思っても、少し眠いと寝てしまうが、カフェやファミレスだと家ほど寝てしまうことを防げる。
ちょっと時間があるとスマホに手が伸びがちだが、スマホが手元にないので、触れようにも物理的に触れられない。
結局、「帰ったらこれをやる!」、「今日は寝ない!」とかそういう意志みたいのは自分の場合はあまり信用できないと思ったので、意志とかそういう曖昧なものに頼らない、未来の自分に期待しないで、自動的にそうなるような環境づくりは大切だと思った。
そんなこんなで、仕事が18:00頃終わったあとはカフェとファミレスをはしごして、だいたい日をまたぐぐらいまで勉強する今日この頃。
2019年2月26日火曜日
2019年2月15日金曜日
忙しい一週間
まだ木曜だけど、今週は随分忙しかった。
仕事が終わった後に、毎日もう一つ用事が入っていて、それが終わった後にファミレスで勉強をし帰るのが深夜0時くらい。帰ってシャワーを浴びてまた勉強。
先日、転職のための面接へ行ったものの残念ながら落ちてしまった。
それを受け、すぐ二の矢三の矢を放たなければいけないなと思ってアンテナを張り巡らせていたところ、プログラミングスクールの特待生枠の募集があった。
火曜日はそれの説明会を聞きに行ってみた。
その後の展開は続報をまたれし。
水曜はあまり詳しく言えないけど、とある打ち合わせへ。
で、今日木曜は先日面接を受けてみないかと提案してくれた、例の友人と食事へ。
またいろいろな情報交換ができた。
明日は仕事は休みだけど、予定がいくつか重なっててさらに夜は英語の学校。
1月にたくさん使ったCoffeeMeetingも忙しすぎて使えない。。。
仕事が終わった後に、毎日もう一つ用事が入っていて、それが終わった後にファミレスで勉強をし帰るのが深夜0時くらい。帰ってシャワーを浴びてまた勉強。
先日、転職のための面接へ行ったものの残念ながら落ちてしまった。
それを受け、すぐ二の矢三の矢を放たなければいけないなと思ってアンテナを張り巡らせていたところ、プログラミングスクールの特待生枠の募集があった。
火曜日はそれの説明会を聞きに行ってみた。
その後の展開は続報をまたれし。
水曜はあまり詳しく言えないけど、とある打ち合わせへ。
で、今日木曜は先日面接を受けてみないかと提案してくれた、例の友人と食事へ。
またいろいろな情報交換ができた。
明日は仕事は休みだけど、予定がいくつか重なっててさらに夜は英語の学校。
1月にたくさん使ったCoffeeMeetingも忙しすぎて使えない。。。
2019年2月11日月曜日
『発達障害』
発達障害の中でも代表的なASD(自閉症スペクトラム障害)とADHD(注意欠陥多動性障害)に焦点を当てた本。
よく誤解されがちな「単なる個性」、「ASD」、「ADHD」、「その他の精神疾患」の違いや見分け方を、歴史上の人物や豊富な具体的な事例を交えて、さまざまな角度から解説している本。
世間では、わりといっしょくたにされがちだけど、「こういう特徴が観察される(あるいはされない)」から「〜とは断定しがたい」みたいなことが具体例で書いてあるので、違いが今までよりクリアになった。
高学歴でも発達障害になる可能性もあるということで、(今までも漠然と知ってはいたけど)決して珍しい事例ではないということで認識を改められた。
携帯を携帯しない生活
改札を通りホームまでの階段を降りる。そしてそこで電車を待つ間、バッグにしまってあるはずのスマートフォンに手を伸ばそうとして、それががないことにはっと気づく。
そうだ、今日はスマートフォンは家に置いてきたのだった。
今日はそんなことを何度繰り返しているだろう。
「携帯を携帯しない」ことでこんなにも時間を有意義に使えるものなのか。
先日、パスケースを購入した。
ここ数日は緊急の連絡が入る予定もなかったため、ついに意を決して、スマートフォンを持たない生活を試してみた。
まず、あくまで「私の場合は」だと思うが、基本的にそれほど緊急の連絡というのは入らないので、帰宅してから確認をしても支障が起こることはなかった。というより、そもそもそういう連絡自体がきていなかった。それはそれで寂しい。
すると、いかにスマートフォンに依存していたかというのが、体感としてわかった。依存というより中毒に近いかもしれない。
ふとした隙間時間があると、ついつい携帯をさわろうとしていることが体感としてわかった。
ホームで電車を待つ時間、電車に乗っている間、昼食で友人とおしゃべりしている時のふとした間、信号待ちの間、勉強の合間に休憩と称していじる。
すぐに調べる必要もないことが頭によぎってきて、つい手を伸ばしそうになる。ましてや普段の生活では、特に意味もなくTwitterを開きタイムラインをみてしまっていたような気がする。
そんな状態で、なかば無意識の習慣化していたので、意志の力でスマートフォンに触れないというのは、どれほど難しいことなのかがわかった気がする。
物理的に手元になければ触れようがない。これは非常にいい方法だ。
そうすると、いろいろな隙間時間で手持ち無沙汰になるので、持ち歩いている本だったり、勉強道具を開くようになる。
カフェなどへ行っても今までは、なんとなしにスマートフォンを出してしまっていたが、それが今はそもそも手元にないので、何か別のものをだして、結果的に勉強することになる。
とはいえ、やはりインターネットで調べたり、インターネット上で処理しなければいけないこともあるので、そういうことは帰宅後まとめて行うことになる。
無計画にパソコンを開くと、またSNSを貪ることになるので、帰宅後にインターネットを使ってやらなければいけない作業などについては、あらかじめ手帳などにまとめておくといいのかもしれない。これは今後へ向けての改善点だと思った。
友人との待ち合わせなどで、緊急の連絡がない状況というのもそれほどたくさんあるわけではないだろうから、どれほど「携帯を携帯しない生活」をできるのかはわからないが、それをすることによって、いつもより濃密に時間を使えた気がするので、できる限りこの生活をして、スマホ依存を脱却しようと思う。
そうだ、今日はスマートフォンは家に置いてきたのだった。
今日はそんなことを何度繰り返しているだろう。
「携帯を携帯しない」ことでこんなにも時間を有意義に使えるものなのか。
先日、パスケースを購入した。
ここ数日は緊急の連絡が入る予定もなかったため、ついに意を決して、スマートフォンを持たない生活を試してみた。
まず、あくまで「私の場合は」だと思うが、基本的にそれほど緊急の連絡というのは入らないので、帰宅してから確認をしても支障が起こることはなかった。というより、そもそもそういう連絡自体がきていなかった。それはそれで寂しい。
すると、いかにスマートフォンに依存していたかというのが、体感としてわかった。依存というより中毒に近いかもしれない。
ふとした隙間時間があると、ついつい携帯をさわろうとしていることが体感としてわかった。
ホームで電車を待つ時間、電車に乗っている間、昼食で友人とおしゃべりしている時のふとした間、信号待ちの間、勉強の合間に休憩と称していじる。
すぐに調べる必要もないことが頭によぎってきて、つい手を伸ばしそうになる。ましてや普段の生活では、特に意味もなくTwitterを開きタイムラインをみてしまっていたような気がする。
そんな状態で、なかば無意識の習慣化していたので、意志の力でスマートフォンに触れないというのは、どれほど難しいことなのかがわかった気がする。
物理的に手元になければ触れようがない。これは非常にいい方法だ。
そうすると、いろいろな隙間時間で手持ち無沙汰になるので、持ち歩いている本だったり、勉強道具を開くようになる。
カフェなどへ行っても今までは、なんとなしにスマートフォンを出してしまっていたが、それが今はそもそも手元にないので、何か別のものをだして、結果的に勉強することになる。
とはいえ、やはりインターネットで調べたり、インターネット上で処理しなければいけないこともあるので、そういうことは帰宅後まとめて行うことになる。
無計画にパソコンを開くと、またSNSを貪ることになるので、帰宅後にインターネットを使ってやらなければいけない作業などについては、あらかじめ手帳などにまとめておくといいのかもしれない。これは今後へ向けての改善点だと思った。
友人との待ち合わせなどで、緊急の連絡がない状況というのもそれほどたくさんあるわけではないだろうから、どれほど「携帯を携帯しない生活」をできるのかはわからないが、それをすることによって、いつもより濃密に時間を使えた気がするので、できる限りこの生活をして、スマホ依存を脱却しようと思う。
2019年2月8日金曜日
久しぶりに怒涛の一日
珍しく今日はたくさんのことをこなした。
まず朝は個人的な事情によるとある人と打ち合わせ。
それが一時間ほどで終わったあとは、散髪へ行く。
散髪したあと、MisterMinitで靴を磨いてもらう!初めて!
これで、面接へ向けて身だしなみ的には準備万端!
駅中のヴィドフランスで軽く昼食。
その後、14時から転職の面接へ。
そして整骨院でマッサージ。
残念ながら、不採用でした。
転職サイトからの応募ではなく紹介からの面接だったので、担当者の方も良い面も悪い面も率直に言ってくれました。
どうやら、学歴面などから地頭がいいことは十分わかる、と。また入社すれば知識のキャッチアップも問題なくできそう、と。
ただ、職務経歴がネックとのこと。
職務経歴がもう少しシンプルであれば、余裕で正社員と言われ、結局今回は見送り。
なにか、スキル面でもう一つぐらい加味できるものがあれば、採用できるかもしれないのでまた声をかけてみてくれとのことで、半ば宿題のようなことを言われたのでまだ希望はあるのかもしれない。
正直残念ではあるけれど、もともとダメ元で望んだ機会だったので、前を向いて次の行動を起こしていこうと思う。
2019年2月5日火曜日
携帯を持ちたくない
パスケースを買いました。
at新宿の東急ハンズ。
携帯をいじりすぎだと思う今日この頃。
意志を強く持っていじらないようにと思ったけど、それも難しそうだと思ったので、いっそのこと物理的にいじれないようにしようかと思いました。
しかし、スマホケースが手帳型でSuicaなども入れてしまっているためスマホも持って行かざる得ない。
だったらSuicaを財布に入れればいいじゃないと思うが、毎回毎回長財布ごと出すのは仰々しい気がするので、ならパスケースにすればスマートにすればいいではないかと思った次第。
ぶっちゃけスマホ持ってても緊急の連絡とかほとんど来ないしね。。。帰ってからパソコンで確認すればいいようなことがほとんど。
パスケースをもつことがどれほど効果的なのか、三日坊主にならずどれほど続くのかもわからないので、とりあえずそれほど高価でないものを購入。
いい感じなら、もう少し高価なものを買おうと思います。
携帯に関しては、持ちたくないとはいいつつも、もうしばらくは緊急の連絡が来る可能性があるので、持ち歩く予定。
at新宿の東急ハンズ。
携帯をいじりすぎだと思う今日この頃。
意志を強く持っていじらないようにと思ったけど、それも難しそうだと思ったので、いっそのこと物理的にいじれないようにしようかと思いました。
しかし、スマホケースが手帳型でSuicaなども入れてしまっているためスマホも持って行かざる得ない。
だったらSuicaを財布に入れればいいじゃないと思うが、毎回毎回長財布ごと出すのは仰々しい気がするので、ならパスケースにすればスマートにすればいいではないかと思った次第。
ぶっちゃけスマホ持ってても緊急の連絡とかほとんど来ないしね。。。帰ってからパソコンで確認すればいいようなことがほとんど。
パスケースをもつことがどれほど効果的なのか、三日坊主にならずどれほど続くのかもわからないので、とりあえずそれほど高価でないものを購入。
いい感じなら、もう少し高価なものを買おうと思います。
携帯に関しては、持ちたくないとはいいつつも、もうしばらくは緊急の連絡が来る可能性があるので、持ち歩く予定。
2019年2月2日土曜日
「とりあえず動いてみる」の大切さ
最近、いまさらながら、「とりあえず動いてみる」って大切だなぁと実感し始めている。
1/29に、かつてプログラミングスクールで知り合った受講生から、転職のお誘いがあったので、近況報告などもかねてお茶をしてきた。
会社の雰囲気など含め、ざっくばらんに話を聞かせてもらえた。
そして、ダメ元で(というと相手の方には失礼だけど)応募してみることにした。
転職サイトなどの経由ではなく、こういう知り合いを通じての応募は初めて。ワクワク。
履歴書や職務経歴書を書いているのだが、心なしか今までの転職活動よりも筆が進んでいる気がする。
話が随分と遡ってしまうが、プログラミングスクールに通ったりするまでは、一人で孤独に頑張っていた気がする。
そんな状況では、自分のことが客観的に評価できていなかったような気がする。
去年の7月ぐらいからプログラミングスクールに通い始め(諸事情により中途解約したが)、その他様々アクションを起こしてくる中で、結局「評価は他の人によって作られる」のだと思い始めた。
以前は孤独に奮闘していたが、他人からの評価がなかったので、自分を語ることもできなかった。
しかし、いろいろ行動する中で他人と(いい意味で)比較したり、会話の文脈などで直接評価の言葉を頂く中で、自分はどういう人間なのかがやっとわかってきた気がする。
人から評価を受けることで、「自分はこういう人間」というような認識が、勝手な思い込みだと気付けたりもした。
履歴書や職務経歴書を作るにしても、自分目線での評価ではなく、他人目線での評価を書くことができるので、随分と説得力がました気がする。
「自分はこう思ってます」だと、いじわるな言い方をすれば「あなたが勝手に思い込んでるだけでしょ」となってしまうが、「他の人からこのように言われました」、「他の人と比較するとこうであるようです」、「他の人からこう思われてました」だと、自分一人の主観ではないので、客観性が増すと思う。
今履歴書などを作っている企業が採用されるかどうかわからないけども、それに気付けただけでもよかったと思っている。
1/29に、かつてプログラミングスクールで知り合った受講生から、転職のお誘いがあったので、近況報告などもかねてお茶をしてきた。
会社の雰囲気など含め、ざっくばらんに話を聞かせてもらえた。
そして、ダメ元で(というと相手の方には失礼だけど)応募してみることにした。
転職サイトなどの経由ではなく、こういう知り合いを通じての応募は初めて。ワクワク。
履歴書や職務経歴書を書いているのだが、心なしか今までの転職活動よりも筆が進んでいる気がする。
話が随分と遡ってしまうが、プログラミングスクールに通ったりするまでは、一人で孤独に頑張っていた気がする。
そんな状況では、自分のことが客観的に評価できていなかったような気がする。
去年の7月ぐらいからプログラミングスクールに通い始め(諸事情により中途解約したが)、その他様々アクションを起こしてくる中で、結局「評価は他の人によって作られる」のだと思い始めた。
以前は孤独に奮闘していたが、他人からの評価がなかったので、自分を語ることもできなかった。
しかし、いろいろ行動する中で他人と(いい意味で)比較したり、会話の文脈などで直接評価の言葉を頂く中で、自分はどういう人間なのかがやっとわかってきた気がする。
人から評価を受けることで、「自分はこういう人間」というような認識が、勝手な思い込みだと気付けたりもした。
履歴書や職務経歴書を作るにしても、自分目線での評価ではなく、他人目線での評価を書くことができるので、随分と説得力がました気がする。
「自分はこう思ってます」だと、いじわるな言い方をすれば「あなたが勝手に思い込んでるだけでしょ」となってしまうが、「他の人からこのように言われました」、「他の人と比較するとこうであるようです」、「他の人からこう思われてました」だと、自分一人の主観ではないので、客観性が増すと思う。
今履歴書などを作っている企業が採用されるかどうかわからないけども、それに気付けただけでもよかったと思っている。
ラベル:
その他,
私という人間について,
自己肯定感,
編集済み
2月開始!
2月も2日になってしまったけれど。
1月のことを振り返っておこうと思う。
まず、1月はブログを毎日更新する、でも完璧主義を求めない、という目標にしていたけれど結局トータルで20日ほどしか更新できなかった。
完璧主義を求めないとはいっても、もう少しなんとかできたのではないか。
一日途切れるだけとかならまだしも、数日途切れたこともあったからね。
あと、Coffeemeetingを通じて5人、それ以外にも1人と会いました。
とりあえず、直接縁に繋がる人もいればそうでない人もいたけれど、でもいろんな人と話せて、なんの自信かわからないけど自信がついてきた。
なんの自信だろう。自分は人見知りではない、という自信?よくわからない。
2月もCoffeeMeetingに限らずいろんな人とあっていこうと思う。
あと、技術系や数学系の記事も書こうと思っているけど、なかなかかけない。
この辺ももっと書いていこう!
1月のことを振り返っておこうと思う。
まず、1月はブログを毎日更新する、でも完璧主義を求めない、という目標にしていたけれど結局トータルで20日ほどしか更新できなかった。
完璧主義を求めないとはいっても、もう少しなんとかできたのではないか。
一日途切れるだけとかならまだしも、数日途切れたこともあったからね。
あと、Coffeemeetingを通じて5人、それ以外にも1人と会いました。
とりあえず、直接縁に繋がる人もいればそうでない人もいたけれど、でもいろんな人と話せて、なんの自信かわからないけど自信がついてきた。
なんの自信だろう。自分は人見知りではない、という自信?よくわからない。
2月もCoffeeMeetingに限らずいろんな人とあっていこうと思う。
あと、技術系や数学系の記事も書こうと思っているけど、なかなかかけない。
この辺ももっと書いていこう!
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