昨日は、新宿へ買い物の下調べで、いくつかお店を梯子した。
そういえば、ふと考えてみると、ほぼ毎日新宿へ来ている気がする。
職場が新宿なので、仕事の日は行くのは当然として、休みの日もなんだかんだ新宿へ寄っている気がする。
まあ定期があるし、近いから余計な交通費がかからずすぐ行けるから当然といえば当然なのだが。
昔、『学校会談』という怪談の漫画にはまっていたことがある。
確か基本的には一話完結で、でも全体としてみるとストーリーになっているみたいな構成だった気がする。
その中に、こんな話がある。
いつも学校と家の間の往復しかしなく、休みの日でも行動範囲が限られている青年がいた。
ある日突然、何もないところで「見えない壁」にぶつかってしまい、そこから先へ進めない。
どうやら、ある一定の範囲にまんべんなく張り巡らされているようだ。
日に日にその壁は狭くなり、行動範囲も限られてくる。
そのうち、家から出る事もも部屋から出る事もままならず、最終的には壁に身体ごと押しつぶされ、血や肉片なども一切残らず、消えてしまうというお話。
これはファンタジーの中のお話だとしても、この話を地でいきそうな勢いでいつも同じところしか行ってないなあと思う今日この頃。
2014年8月23日土曜日
2014年8月22日金曜日
願望が実現しない理由
『ユダヤ人大富豪の教え』を再読してみた。
数年前に購入した本だったが、当時はとりあえず読みとおすことしか考えておらず、内容にピンときていなかった。
今になって改めて読み返してみると、以前より感動する。
帯にある「お金の話」なのに泣けた、というのもあながち的外れではないと思った。
どの章もためになったのであるが、特に第四章が気になった。
第四章「思考と感情の力を知る」ではこんなことが書かれている。
本の中では、ガールフレンドができないという悩みについて、本当にそうなのかやりとりが書かれていた。
自分は実現していないことがたくさんあるけれど、それについてもあてはまるのだろうか、主なものについて時間をとって静かな場所で瞑想をしながら考えてみた。
数年前に購入した本だったが、当時はとりあえず読みとおすことしか考えておらず、内容にピンときていなかった。
今になって改めて読み返してみると、以前より感動する。
帯にある「お金の話」なのに泣けた、というのもあながち的外れではないと思った。
どの章もためになったのであるが、特に第四章が気になった。
第四章「思考と感情の力を知る」ではこんなことが書かれている。
君の考えが人生で現実のものとなる。つまり実現していないということは、本当は望んでいないからだということらしい。
本の中では、ガールフレンドができないという悩みについて、本当にそうなのかやりとりが書かれていた。
自分は実現していないことがたくさんあるけれど、それについてもあてはまるのだろうか、主なものについて時間をとって静かな場所で瞑想をしながら考えてみた。
-
彼女ができない
彼女が欲しいなーとはいつも思っているつもりだが、改めて問答してみた。
そうすると、一つの理由は面食いであることが原因だと思った。
さらに、一つ目の理由と若干重複する部分はあるが、理想が高すぎることも。
それと、どうやら自分は彼女のレベルが自分のステータスを表していると思っているらしい。それと同時に、自分自身プライドが実は高いようだ。
だから、面食いであることに拍車をかけている。
まだある。「いいな!」と思う人がいても、もしかしたらもっといい人がいるかもしれない、ここで付き合ったってもしもっと他の人と関係が進んだらもったいないことになる、とまだアタックもしていないのに妄想をしている傾向がある。
最後に、「いいな!」と思う人がいても、玉砕するのが怖くてアタックできない。ここにもプライドの高さが滲みでているようだ。
-
大学院へ戻れない(研究職への道へなかなか進めない)
これも本当に望んでいるのか考えてみた。
そうやって考えてみると、結局のところ、やはり「今自分の目の前にいる人は関係を築きたくない」、「(振られるのが怖い、失敗するのが怖いから)アプローチをしたくない」と、彼女を作ろうとすることを望んでいなかったように思える。
その分野に興味があることは間違えない。
しかし、いつもなんとなくごまかしている部分に正面から考えてみた。
ここにもやはりプライドの高さが影響していたようだ。
一つは結果が出せないかもしれない自分に直面したくないと思っている節がある。
もう一つは、自分より遥かに頭のいい人間と同じ土俵に立つのが怖い。もちろん世の中に自分より遥かに頭が良い人がいるのは認識はしているのだけれど、その人達を目の当たりして現実を知るのが怖いというか。
-
お金持ちになれない。
これはなんとなくだけれど、お金持ちになりたいという思いはあるものの、一方でビジネスライクな付き合いやそれ以外の付き合いも増えるのかなと想像すると、内向的な自分には少し抵抗感があるようだ。 -
結局のところ
根本的なところではプライドの高いことと、勇気のなさが諸悪の根源になっている気がする。
そんなこといっているなら、研究者の道も向いていないのかなと不安に思ったり。
勇気のなさに関して言えば、一般的な意味での感情的ではないが、これだって結局自分の感情に流されているわけだ。いわゆるストレスに対する耐性がついていない。ただこればかりはなんとか克服しないとな。
2014年8月19日火曜日
苦手意識という幻想
段々と体力がついてきたようだ。実感として感じている。
今日もプールへ行ってきた。
今までは、約2時間の間で休み休み300m泳ぐのがやっとだった。
しかし今日は300mの壁は1時間ぐらいで早々に突破し、最終的には700m泳いだ。
ここまでくると、1kmももうすぐで、とても無謀だとまでは感じない。
さらに今日はクロールでも泳いでみた。
今までは、ほとんど平泳ぎばかりで泳いできた。
そのため、肺活量が落ちていたということもあるとは思うが、どうも呼吸のタイミングがうまくつかめなくて、クロールは若干苦手意識を感じていた。
さらに下手したら平泳ぎのほうが速いのではないかと思っていた。
今日は、自分の泳いでいたコースが混んでいて、初心者も多かったらしく、コースの途中で止まる人も多数。
そんな状況なので、クロールも適当に立ち止まりながら、なにに苦手意識を感じているのかを分析してみようと思った。
まずスピード。
それほど苦痛に感じない範囲で試してみた。
今までは、クロールで泳いでもちっとも進んでいる感じがしなかった。
平泳ぎのほうが進んでいる感じがしていた。
それで、まずは手はかかずに、バタ足だけで泳いでみた。多少息はもつようになっていたので、顔をあげずに水中をみたままで。
バタ足だけでも、推進力はちゃんとあったので安心した。
では手をつけたらどうなるのか。
手をつけると、明らかにスピードがあがった。当たり前だが。
なんか行けそう。
そのまま泳ぎ続けてみる。
クロール=手をかく度に呼吸をしなくてはいけない、と思っていたのだが、思い切ってそれもやめ、苦しくなったら呼吸する方式に変えてみた。
こんなことができるのも、多分肺活量が増えたおかげでもあると思う。
そうすると、進んでいるのが実感としてすごいわかり、やはりクロールの方が圧倒的に速いと改めて思った。
こうやって分析してみると、なんでクロールに苦手意識を感じていたのかというと、手をかく度に、呼吸をしなければいけないと思っていたからだったような気がする。
毎回顔を上げると、平泳ぎとは違い、顔を横に上げるので、自分が今どのくらいの位置にいるのかを見失う。
どこにいるのかもわからないので、どのくらいのスピードが出ているのかもわからない。そしてどのくらい泳げばプールサイドにたどり着くのかもよくわからない、という循環。
さらに言えば、毎回顔をあげることで、逆に無駄なエネルギーを消費していたので、それが、呼吸をたくさんしているのにも関わらず、息が苦しいという感じになっていたのだと思う。
苦手意識がすこし改善されたとはいえ、やはりまだ後半になると息切れ気味になるのでそのあたりをもう少し改善したい。
苦手意識は勝手に自分で感じていただけのようだ。実際やってみると、案外そうではないのかもしれない。
もしかしたら、苦手意識を感じている他のことも、自分で勝手に感じているだけなのかもしれないな。
今日もプールへ行ってきた。
今までは、約2時間の間で休み休み300m泳ぐのがやっとだった。
しかし今日は300mの壁は1時間ぐらいで早々に突破し、最終的には700m泳いだ。
ここまでくると、1kmももうすぐで、とても無謀だとまでは感じない。
さらに今日はクロールでも泳いでみた。
今までは、ほとんど平泳ぎばかりで泳いできた。
そのため、肺活量が落ちていたということもあるとは思うが、どうも呼吸のタイミングがうまくつかめなくて、クロールは若干苦手意識を感じていた。
さらに下手したら平泳ぎのほうが速いのではないかと思っていた。
今日は、自分の泳いでいたコースが混んでいて、初心者も多かったらしく、コースの途中で止まる人も多数。
そんな状況なので、クロールも適当に立ち止まりながら、なにに苦手意識を感じているのかを分析してみようと思った。
まずスピード。
それほど苦痛に感じない範囲で試してみた。
今までは、クロールで泳いでもちっとも進んでいる感じがしなかった。
平泳ぎのほうが進んでいる感じがしていた。
それで、まずは手はかかずに、バタ足だけで泳いでみた。多少息はもつようになっていたので、顔をあげずに水中をみたままで。
バタ足だけでも、推進力はちゃんとあったので安心した。
では手をつけたらどうなるのか。
手をつけると、明らかにスピードがあがった。当たり前だが。
なんか行けそう。
そのまま泳ぎ続けてみる。
クロール=手をかく度に呼吸をしなくてはいけない、と思っていたのだが、思い切ってそれもやめ、苦しくなったら呼吸する方式に変えてみた。
こんなことができるのも、多分肺活量が増えたおかげでもあると思う。
そうすると、進んでいるのが実感としてすごいわかり、やはりクロールの方が圧倒的に速いと改めて思った。
こうやって分析してみると、なんでクロールに苦手意識を感じていたのかというと、手をかく度に、呼吸をしなければいけないと思っていたからだったような気がする。
毎回顔を上げると、平泳ぎとは違い、顔を横に上げるので、自分が今どのくらいの位置にいるのかを見失う。
どこにいるのかもわからないので、どのくらいのスピードが出ているのかもわからない。そしてどのくらい泳げばプールサイドにたどり着くのかもよくわからない、という循環。
さらに言えば、毎回顔をあげることで、逆に無駄なエネルギーを消費していたので、それが、呼吸をたくさんしているのにも関わらず、息が苦しいという感じになっていたのだと思う。
苦手意識がすこし改善されたとはいえ、やはりまだ後半になると息切れ気味になるのでそのあたりをもう少し改善したい。
苦手意識は勝手に自分で感じていただけのようだ。実際やってみると、案外そうではないのかもしれない。
もしかしたら、苦手意識を感じている他のことも、自分で勝手に感じているだけなのかもしれないな。
2014年8月15日金曜日
雨男の体力
自分は最近、天気に見放されているようだ。
一日中雨、とかならまだ「仕方ないな」ということで諦めがつくのだけれど、それまで降っていなかったのに、自分が外出しようと思うと降りだすことが多い。
まるで、自分にそれをさせないように、阻まれているようだ。
8月に入り、体力をつける目的で近所のランニングとプールへ行き始めた。
帰宅し、ランニングをし始めるとポツリポツリとくる。
何度かそんなことが続くので、すぐ収まるだろうと思いランニングを続けていると段々ひどくなる始末。
プールへ行こうと家を出ようと思ったらポツリポツリ。
あるいは、プールへ行こうと家を出たときは晴天だったのに、プールの最寄り駅へ着いたら、傘がいる程度には降っていたり。
そんな状態でも、めげずにプールへ行ってきた。
今月に入りまだ何度目かのプールではあるが、体力が少しついた気がする。
今日は200メートルしか泳げなかったものの、ワンスパンで泳げた。
ただそのあと酸欠になってしまい、頭が痛くなり休憩していたのだけれど。
いつもならだいたい300メートルぐらいは泳げるようになった。
仕事をしてもあまり疲れなくなったし、家で勉強をする際にも集中できるようになった。
体力って大事だな。何度も感じてはいるけど、体力が落ちてまたつけると改めて思う。。
大学院時代、知らない人だったがこんな話をしていた。
正確な言葉は覚えていないのだけれど、「毎日、頑張っているなと思って頑張っている状態では全然だめ。頑張っていることが通常の状態で意識もしない状態で頑張る程度でなければ、それにはまず体力です。」
毎日眠いな、疲れたな、もうひと頑張り、なんて感じながら仕事や勉強をこなしているのはまだまだだということですね。
数学は体力だ!というこんな話も。この話は結構好き。
http://nc.math.tsukuba.ac.jp/column/emeritus/Kimurata/
憧れている石井裕教授のモットーで「人の2倍働き3倍の結果をだす」というのがある。
とりあえずはこの言葉の「人の2倍働き」の部分を目指してやっているのだけれど、この時点で難しい。
というか、普通に会社員とかやっている人はそんなの当たり前にやっているのだろうから単に自分が甘いだけだと思うが。
それと体力。
体力がないので、仕事が終わるとすぐ疲れてしまう。
やっぱり、頭脳労働をするにしても体ありきですからね、体力って大事だと思う。
一日中雨、とかならまだ「仕方ないな」ということで諦めがつくのだけれど、それまで降っていなかったのに、自分が外出しようと思うと降りだすことが多い。
まるで、自分にそれをさせないように、阻まれているようだ。
8月に入り、体力をつける目的で近所のランニングとプールへ行き始めた。
帰宅し、ランニングをし始めるとポツリポツリとくる。
何度かそんなことが続くので、すぐ収まるだろうと思いランニングを続けていると段々ひどくなる始末。
プールへ行こうと家を出ようと思ったらポツリポツリ。
あるいは、プールへ行こうと家を出たときは晴天だったのに、プールの最寄り駅へ着いたら、傘がいる程度には降っていたり。
そんな状態でも、めげずにプールへ行ってきた。
今月に入りまだ何度目かのプールではあるが、体力が少しついた気がする。
今日は200メートルしか泳げなかったものの、ワンスパンで泳げた。
ただそのあと酸欠になってしまい、頭が痛くなり休憩していたのだけれど。
いつもならだいたい300メートルぐらいは泳げるようになった。
仕事をしてもあまり疲れなくなったし、家で勉強をする際にも集中できるようになった。
体力って大事だな。何度も感じてはいるけど、体力が落ちてまたつけると改めて思う。。
大学院時代、知らない人だったがこんな話をしていた。
正確な言葉は覚えていないのだけれど、「毎日、頑張っているなと思って頑張っている状態では全然だめ。頑張っていることが通常の状態で意識もしない状態で頑張る程度でなければ、それにはまず体力です。」
毎日眠いな、疲れたな、もうひと頑張り、なんて感じながら仕事や勉強をこなしているのはまだまだだということですね。
数学は体力だ!というこんな話も。この話は結構好き。
http://nc.math.tsukuba.ac.jp/column/emeritus/Kimurata/
憧れている石井裕教授のモットーで「人の2倍働き3倍の結果をだす」というのがある。
とりあえずはこの言葉の「人の2倍働き」の部分を目指してやっているのだけれど、この時点で難しい。
というか、普通に会社員とかやっている人はそんなの当たり前にやっているのだろうから単に自分が甘いだけだと思うが。
それと体力。
体力がないので、仕事が終わるとすぐ疲れてしまう。
やっぱり、頭脳労働をするにしても体ありきですからね、体力って大事だと思う。
2014年8月12日火曜日
集団的自衛権
今話題の集団的自衛権について書いてみようと思う。
ホットでデリケートな話題だけに、炎上しないか心配だ。
そもそも炎上をするほど人の目に留まるのかどうかがわからないが。
先日、Facebookで憲法の解釈変更による集団的自衛権の容認の記事がシェアされていて、コメントに賛否両論いろいろな意見が投稿されていた。
賛成意見にも反対意見にもどちらにももっともだと思うところがある。
自分も結局どうすればいいのかわからないままではあるが、思うところがあったので書いてみようと思っていた。
デリケートな話題なので、どういう議論がされてきたのかや背景的な話題、賛成意見や反対意見の根底に流れる哲学などきちんと調べてから書こうと思ったのだが、調べていると切りがない。
なので、このテーマに関して論点はいくつかあるとは思うが、全てには触れず、率直に思っていることを書こうと思う。
政治的な話題には詳しくはないので、詳しい人からみたら考えが浅はかだし、多分前提知識が欠けていたりしてトンチンカンな議論をしているかもしれない。
その辺は弁解のしようがないので、素直に受け止めるしかない。
集団的自衛権の行使容認賛成の人の主張の一つは(他にもあるかもしれない)、隣の国が武力をもっていて脅威になりつつあるのに、自分の国は丸腰でいいのか、ということ。
それでは、守るべき平和も守れないのではということだと思う。
一方で、反対の人の主張の一つは、平和主義国として少しでも戦争への道を進みかねないようなことはすべきではないということ。
よく引用されるガンジーの非暴力、非武装を貫き平和主義を貫きなさいと。
非暴力非武装で平和が維持できるのならそれが一番いいのは明らかなわけです。
そんなことはわかってはいるけど、現実にはなかなかうまく事が運ばないから困っている。
わかってはいるから、自分なんかよりもよっぽど頭のいい人たちが昔から知恵を絞っているのにも関わらず、実現できていないということはかなりの難問だ。
賛成派の人達はよく家族のたとえを引き合いにだす。
「あなたの隣人が凶器をもってあなたの家族に危害を加えようとしているのに、あなたたちの家族は全員丸腰で呑気に構えて生活するのですか」と。
自分としては、わかるようなわからないような。
言わんとしてることはわかるが、これを国家同士のスケールに一般化できるかどうかというのはそれほど自明ではない気がする。
なぜ一般化できない気がするのかというのは、自分でもまだよくわかっていないが。
今回の例に限らないけど、比喩やアナラジーで説明をするということはよくあるが、それが適切な適用になっているかどうかというのは慎重に検討しなければならないと思う。
あくまでも比喩やアナラジーは理解の補助でしかないのに、本来理解すべき対象と立場が逆転して、比喩やアナラジーの枠組みに押し込めようとしているのではないか、と思う事がある。
それをやりだすと理解できたつもりにはなってしまうので、危険だなと思う。
また一方で、思想の多様性という面から考えてみる。
反対派の人達はガンジーの非暴力主義が根底の思想に流れているのだろう。
そういう意味で言えばこれも一つの思想であって、それ以外の思想があることも不思議ではない。
仮に反対派の人達の意見を汲み非暴力非武装を貫いたとする。
それは、賛成派の人達の思想を排除しているということにはならないか。
だから結局結論はでないままで、もやもやした結びになるが、どちらの意見も尊重してどちらの立場の人も納得できるような案があれば一番望ましい。
なかなか難しいところではあるが。
ホットでデリケートな話題だけに、炎上しないか心配だ。
そもそも炎上をするほど人の目に留まるのかどうかがわからないが。
先日、Facebookで憲法の解釈変更による集団的自衛権の容認の記事がシェアされていて、コメントに賛否両論いろいろな意見が投稿されていた。
賛成意見にも反対意見にもどちらにももっともだと思うところがある。
自分も結局どうすればいいのかわからないままではあるが、思うところがあったので書いてみようと思っていた。
デリケートな話題なので、どういう議論がされてきたのかや背景的な話題、賛成意見や反対意見の根底に流れる哲学などきちんと調べてから書こうと思ったのだが、調べていると切りがない。
なので、このテーマに関して論点はいくつかあるとは思うが、全てには触れず、率直に思っていることを書こうと思う。
政治的な話題には詳しくはないので、詳しい人からみたら考えが浅はかだし、多分前提知識が欠けていたりしてトンチンカンな議論をしているかもしれない。
その辺は弁解のしようがないので、素直に受け止めるしかない。
集団的自衛権の行使容認賛成の人の主張の一つは(他にもあるかもしれない)、隣の国が武力をもっていて脅威になりつつあるのに、自分の国は丸腰でいいのか、ということ。
それでは、守るべき平和も守れないのではということだと思う。
一方で、反対の人の主張の一つは、平和主義国として少しでも戦争への道を進みかねないようなことはすべきではないということ。
よく引用されるガンジーの非暴力、非武装を貫き平和主義を貫きなさいと。
非暴力非武装で平和が維持できるのならそれが一番いいのは明らかなわけです。
そんなことはわかってはいるけど、現実にはなかなかうまく事が運ばないから困っている。
わかってはいるから、自分なんかよりもよっぽど頭のいい人たちが昔から知恵を絞っているのにも関わらず、実現できていないということはかなりの難問だ。
賛成派の人達はよく家族のたとえを引き合いにだす。
「あなたの隣人が凶器をもってあなたの家族に危害を加えようとしているのに、あなたたちの家族は全員丸腰で呑気に構えて生活するのですか」と。
自分としては、わかるようなわからないような。
言わんとしてることはわかるが、これを国家同士のスケールに一般化できるかどうかというのはそれほど自明ではない気がする。
なぜ一般化できない気がするのかというのは、自分でもまだよくわかっていないが。
今回の例に限らないけど、比喩やアナラジーで説明をするということはよくあるが、それが適切な適用になっているかどうかというのは慎重に検討しなければならないと思う。
あくまでも比喩やアナラジーは理解の補助でしかないのに、本来理解すべき対象と立場が逆転して、比喩やアナラジーの枠組みに押し込めようとしているのではないか、と思う事がある。
それをやりだすと理解できたつもりにはなってしまうので、危険だなと思う。
また一方で、思想の多様性という面から考えてみる。
反対派の人達はガンジーの非暴力主義が根底の思想に流れているのだろう。
そういう意味で言えばこれも一つの思想であって、それ以外の思想があることも不思議ではない。
仮に反対派の人達の意見を汲み非暴力非武装を貫いたとする。
それは、賛成派の人達の思想を排除しているということにはならないか。
だから結局結論はでないままで、もやもやした結びになるが、どちらの意見も尊重してどちらの立場の人も納得できるような案があれば一番望ましい。
なかなか難しいところではあるが。
2014年8月10日日曜日
ビアガーデン
先日になりますが、ビアガーデンに行ってきました。
友人から飲みに行かないかーと誘われていていたし、ビアガーデンに行ってみたいと思っていたので!
夏だし、夏しか行くチャンスのないビアガーデン!そしてここ何年かは全然行っていなかったので!
行ったのはここ。池袋。
にしても風が強かった。。。ビアガーデンってあまりいったことがないからよくわからないけど、こんなに風が強いものなのか。。。気が散ってしまいあまり集中できなかった。そういう意味では若干後悔。
とはいいつつもジョッキで4杯か5杯飲んで十分楽しんだのだけれど!
ここ最近は、全体的な体力が少し落ちていて、2杯飲むだけでもすぐ酔っていたのだけれど、最近運動をはじめ体力がアップしたこともあってか、普段よりお酒を飲んでもあまり酔いませんでした。
このあと二次会へ行くことになるのですが、二次会は飲み会ではなく喫茶店へ。
このあたりの時間から、なぜ自分が彼女ができないのかというお悩み相談へ笑)
趣味とかないのかと聞かれたので、クラシック音楽や読書、数学、プログラミングと答える。
まあ数学とプログラミングはともかくとしてクラシック音楽と読書は高尚でいいじゃないと評価を頂く。
しかし、いつもどういう話をするのかと聞かれたので、それを話してみるとマニアック過ぎてわからないと言われる始末。
趣味は高尚だけど、ニッチなところをあえて攻めにいっているのか、他人とずれているのか、専門的すぎてわからないとのこと。それじゃドン引きだよとのこと。
うーん、自分的には周りに自分よりもっと詳しい人がたくさんいるので、全然ものを知らないなあと感じることばかりなのだが。
まあ自分が詳しいこととあまり詳しくない人との話題にすることは別だよということですが。
スポーツとかの趣味はないのと聞かれる。
趣味ではないが、家族が野球好きなので、まあそれなりに詳しいと答える。
好きな選手を聞かれるので答えるが、山本昌、工藤公康、古田敦也、鈴木尚広、川相まさひろ(漢字わからない)など。
渋い。。。言われてもわからない人の方がおおそうとか言われる。
ベテランというか職人気質な人が好きだよねとか言われる。
ええそうですとも。
そんな会話を繰り広げていると、大して詳しくもないくせにあえてニッチなところを攻めることで、詳しいふりをしているのか。。。とも思えてきて自分がなさけなくなってくる。
そんな気もしてきてしまうので、ニッチなところだけではなく、広く深く知った上で、それでもニッチなところが好きと確信的に言えるようになりたいな。
友人から飲みに行かないかーと誘われていていたし、ビアガーデンに行ってみたいと思っていたので!
夏だし、夏しか行くチャンスのないビアガーデン!そしてここ何年かは全然行っていなかったので!
行ったのはここ。池袋。
にしても風が強かった。。。ビアガーデンってあまりいったことがないからよくわからないけど、こんなに風が強いものなのか。。。気が散ってしまいあまり集中できなかった。そういう意味では若干後悔。
とはいいつつもジョッキで4杯か5杯飲んで十分楽しんだのだけれど!
ここ最近は、全体的な体力が少し落ちていて、2杯飲むだけでもすぐ酔っていたのだけれど、最近運動をはじめ体力がアップしたこともあってか、普段よりお酒を飲んでもあまり酔いませんでした。
このあと二次会へ行くことになるのですが、二次会は飲み会ではなく喫茶店へ。
このあたりの時間から、なぜ自分が彼女ができないのかというお悩み相談へ笑)
趣味とかないのかと聞かれたので、クラシック音楽や読書、数学、プログラミングと答える。
まあ数学とプログラミングはともかくとしてクラシック音楽と読書は高尚でいいじゃないと評価を頂く。
しかし、いつもどういう話をするのかと聞かれたので、それを話してみるとマニアック過ぎてわからないと言われる始末。
趣味は高尚だけど、ニッチなところをあえて攻めにいっているのか、他人とずれているのか、専門的すぎてわからないとのこと。それじゃドン引きだよとのこと。
うーん、自分的には周りに自分よりもっと詳しい人がたくさんいるので、全然ものを知らないなあと感じることばかりなのだが。
まあ自分が詳しいこととあまり詳しくない人との話題にすることは別だよということですが。
スポーツとかの趣味はないのと聞かれる。
趣味ではないが、家族が野球好きなので、まあそれなりに詳しいと答える。
好きな選手を聞かれるので答えるが、山本昌、工藤公康、古田敦也、鈴木尚広、川相まさひろ(漢字わからない)など。
渋い。。。言われてもわからない人の方がおおそうとか言われる。
ベテランというか職人気質な人が好きだよねとか言われる。
ええそうですとも。
そんな会話を繰り広げていると、大して詳しくもないくせにあえてニッチなところを攻めることで、詳しいふりをしているのか。。。とも思えてきて自分がなさけなくなってくる。
そんな気もしてきてしまうので、ニッチなところだけではなく、広く深く知った上で、それでもニッチなところが好きと確信的に言えるようになりたいな。
2014年8月1日金曜日
充実した一日
今日は珍しく充実した日でした。
最近は休みの日でも、仕事の日よりも少し遅い程度に起きられて一日で使える時間がとても多く感じる。
まず、朝出かける前に済ませたのがクレジットカードの返済。
カード自体はずいぶん前に有効期限切れになっていたのだが、残債だけが残っていてリボで少しづつ払っていた。
他にもいくつかカードの支払いやローンの支払いをもっていて、そんな状態にも関わらず収入はそれほど多くはないという、なめた状態。少しづつしか払えないのです。
ここにきて残債もだいぶ減ってきて、一方で収入は安定してきたので、一気に返してしまいました。これで一つ気にすることが減って、気が楽になった。
残りの残債ももうじき返せるので、少し前が明るく見えてきた。
その後は、理容室へ。
プロフィールにも書いてあるように、二年前までは札幌にいました。
それ以前は東京にいて、その時には小さい頃からの行きつけの美容室に通っていました。
特に、別の店に帰る理由もなかったので。
札幌へ行くと、当然そういう行きつけの店はないので、機会がある度にいろいろな店に行ってみるしかないわけです。といっても二年間しかいなかったのでそれほどいろいろな店に通ったわけではありませんが。
その後東京に帰ってくるわけですが、せっかくなのでいろいろなお店を開拓して新しい行きつけの店を見つけようと思いました。
そんなわけで、2年ぐらいいろいろなお店の開拓が続いております。
いいな、雰囲気が合うなというお店はいくつかあり、何度か通ってはみていますが、一方で新しいお店にもどんどん挑戦している感じです。
今日行ったお店は4500円でヘッドスパとマッサージつきというお手頃価格。雰囲気もよく落ち着いた感じでした。自分は元気が良く、いまどきの若者風な雰囲気より落ち着いた感じの方が好きみたいです。
理容室でサッパリしたあとは、プールへ。
東京体育館のプールへ行ってきました。
8月だから、というわけでもないのですが、毎年夏には数回は通っているのですが、数回程度しか通えずいつの間にか夏が終わってしまっているので、今年も行ってみようと思いました。
それに体力もつけたいなと思ったので。
いざ泳いでみると、体力が落ちているな。。。
100m泳いだだけで息がぜいぜい。300mぐらい泳いだらあとはとても泳ぐ気力が起きませんでした。
ただ、トレーニングしたな!という感じは得られたので満足です。
これは継続が大事ですね、続けないと体力はつかない。
そんなこんなで、新宿へ行き少し買い物をして帰宅。
なんか疲れてはいるけれど気分はリフレッシュされました。
明日からも頑張ろうと思います。
最近は休みの日でも、仕事の日よりも少し遅い程度に起きられて一日で使える時間がとても多く感じる。
まず、朝出かける前に済ませたのがクレジットカードの返済。
カード自体はずいぶん前に有効期限切れになっていたのだが、残債だけが残っていてリボで少しづつ払っていた。
他にもいくつかカードの支払いやローンの支払いをもっていて、そんな状態にも関わらず収入はそれほど多くはないという、なめた状態。少しづつしか払えないのです。
ここにきて残債もだいぶ減ってきて、一方で収入は安定してきたので、一気に返してしまいました。これで一つ気にすることが減って、気が楽になった。
残りの残債ももうじき返せるので、少し前が明るく見えてきた。
その後は、理容室へ。
プロフィールにも書いてあるように、二年前までは札幌にいました。
それ以前は東京にいて、その時には小さい頃からの行きつけの美容室に通っていました。
特に、別の店に帰る理由もなかったので。
札幌へ行くと、当然そういう行きつけの店はないので、機会がある度にいろいろな店に行ってみるしかないわけです。といっても二年間しかいなかったのでそれほどいろいろな店に通ったわけではありませんが。
その後東京に帰ってくるわけですが、せっかくなのでいろいろなお店を開拓して新しい行きつけの店を見つけようと思いました。
そんなわけで、2年ぐらいいろいろなお店の開拓が続いております。
いいな、雰囲気が合うなというお店はいくつかあり、何度か通ってはみていますが、一方で新しいお店にもどんどん挑戦している感じです。
今日行ったお店は4500円でヘッドスパとマッサージつきというお手頃価格。雰囲気もよく落ち着いた感じでした。自分は元気が良く、いまどきの若者風な雰囲気より落ち着いた感じの方が好きみたいです。
理容室でサッパリしたあとは、プールへ。
東京体育館のプールへ行ってきました。
8月だから、というわけでもないのですが、毎年夏には数回は通っているのですが、数回程度しか通えずいつの間にか夏が終わってしまっているので、今年も行ってみようと思いました。
それに体力もつけたいなと思ったので。
いざ泳いでみると、体力が落ちているな。。。
100m泳いだだけで息がぜいぜい。300mぐらい泳いだらあとはとても泳ぐ気力が起きませんでした。
ただ、トレーニングしたな!という感じは得られたので満足です。
これは継続が大事ですね、続けないと体力はつかない。
そんなこんなで、新宿へ行き少し買い物をして帰宅。
なんか疲れてはいるけれど気分はリフレッシュされました。
明日からも頑張ろうと思います。
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