一般的な四季の分類より細かく区切ってます。
残暑
まずは、今日のことから。夏真っ盛りもいいけれど、暑さが峠を超えて少し涼しくなったぐらいの時期が好きかもしれないと思った。
単純に暑くないからっていうのもあるけれど、夏が終焉に向かっている感じがして、蝉とかの鳴き声が、夏を名残惜しんでいるように聞こえる。
なにか儚さを感じる。
暑すぎないから、暑さに耐えることばかりに神経を使わず、一歩引いて「夏」という季節に向き合える気がした。
秋から冬に向かう季節
続いてこれからくる季節。決して寒い季節の方が好き、というわけではない。
この季節、お祭りなんかが催されることも多い。
さらに、気温が下がってくるので、心なしか人肌恋しくなる。
そんな二つの状況が噛み合って、いろいろドラマが生まれたり、普段は心の奥にしまわれていることが、表に出てきて素直になれたりする気がする。
素直になりたいけど、なれない、みたいなもどかしい感じだとしても、それもまたいとおかしという感じか。
でも、寒いのはいや。
冬至から初夏
寒いのは嫌いとか言っているわりには寒い季節の割合が多い気がする。天文学上は、冬至が一番日が短い。
一番短いということはあとは、「長くなっていくだけ」。
日照時間が単調増加に転じます。
「日のあたる時間が長くなる」っていう表現だけで、随分前向きな感じがしてくるし、実際、日に日に日照時間が長くなっていくのがわかるから、冬が明けていく感じを肌で感じることができる。
それと個人的には、音楽を重ね合わせてしまう。
それも2曲あって、一つは『チャイコフスキー交響曲第一番(冬の日の幻想)』。
「冬の日の幻想」というように、冬の曲。
ただし、舞台はロシアの極地みたいな場所のイメージなので、日本の冬とは比べものにはならないのだけど、全体的なしつこさが「冬ってこういうもんだよな」と、自分自身で納得させてくれる。
近年は東京とかでは氷点下になることはあまりないけど、毎日気温が低くても、毎日吹雪いていても、「冬ってこういうもんだよな」と納得することで、寒いのが嫌いだけど耐えられる。
あのしつこさは、一度北海道とかで生活してみれば、体感として理解できる。
機会がある人は体で理解しておくべき曲。
もう一曲は『シューマン交響曲第一番「春」』。
先ほどのチャイコフスキーもそうだけど、どうやら巡り合わせがいいようで、この2曲については人生に2回演奏したことがある。
しかもわりと節目のタイミングで。
こちらの曲は序奏部から主題に入るまでが非常に情景的な曲。
厳しい冬を超えて、少し寒さが穏やかになって、そして雪が溶けて、春に向けて動植物が活動し始めて、そして春満開(提示部)に突入。
4楽章も同じく情景的な感じ。
途中までは、春の到来をみんながよろこんで唄っているような感じで可愛らしい感じ。
それで最後は、夏へ向けての期待感を解放して終結するといった感じだろうか。
ちなみに、シューマンの「春」については以前も書いたことがあるような気がするなぁと思って過去の記事を見返していたら、他にこんなことを書いていた。
全体的に、「もののあわれ」を感じられるような瞬間が好きなのかもしれない。
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