地元でちょっとしたお祭りをやっていた。いつも使う駅の近くだったので少しのぞき、そのあとは中学の同級生と地元のお互い気になってた店で飲んでいた。
お祭りをみる度に思うのだが、お祭りの雰囲気が好き。ここでいうお祭りというのは、宗教的なものとか学問的に定義されたそういう厳密な意味ではなくて、いわゆる普通に「お祭り」というときのお祭りである。
他にも雰囲気が好きだな、と感じたお祭りはいくつかあった。分かる人にしか分からないが、名前をだしてみると熊野神社の祭りや大宮神社の祭りやしもたか音楽祭や札幌の雪まつりなどが好きだった。
なんで好きなのかを少し考えたところ、一言でいえば非日常的な場が共有されている状態が好きなのだと思う。
まず非日常的、と的がついているのが少しポイントで、完全な非日常ではなく、非日常ではあるがどちらかというと日常に近い、日常の中の非日常というのが一つの要素だと思う。完全な非日常もそれはそれで魅力的ではあるが。
そういう場では完全な非日常でも、もちろん日常でもみれないような、普段見れない別の側面が垣間見れたりするし、どちらの場でもなかなか言えないことや本音がぽろっと出やすい、だから好きなのかも知れない。
そういう場を共有することで、お互いの理解が少し進むような気がするから好きなのかもしれない。
場が共有されている、というのはなかなか説明が難しい。「場」というのは物理的な意味での空間の意味よりも、もう少し抽象度の高い意味である。共有というのもただ同じ空間にいるというのではなく、認識も共有している状態とでもいうのだろうか。
非日常的な場の共有という、「非日常的」、「場」、「共有」という三つの要素が、現段階での考えてはポイントだと思っている。どれか一つが欠けている状態も想定はしてみたが、嫌いではないが自分の感じているものとは少し違う気がした。
その他に意外と好きなのが、台風とか雷である。それらは不快感なども少し混じってはくるが、やはり非日常的な空間の共有ということになっていて自分なりに納得ができる結論である。
これを書いていて思ったが、祭りの歴史や、「日常」について先人がどのように考えてきたか調べるのも面白いテーマかもしれないと思った。いづれ機会があれば調べてみてそれを踏まえて感じたことを書いてみようと思う。
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