2013年7月17日水曜日

思考の停止

名古屋で起きたいじめによる自殺について思うことを書こうと思う。
http://www.asahi.com/national/update/0716/NGY201307160037.html



ここ近年、こういういじめによる自殺の事件は多い。一応、「担任」である以上自分のクラスから自殺者が以上全く責任がないとは言えないと思うが、このようないじめによる自殺ケースで担任の先生だけの責任だけやたら槍玉にあがるのは、一種の思考停止に陥っているようにも思える。


「はい、担任の人間性と指導方針に問題がありました、終わり!」として、誰かに責任を押し付けて、考えているふりだけして、問題に向き合おうとしていないようにも見えてくる。


報道の仕方で思うのは、まずシチュエーションの切り取り方が恣意的ではないかということ。クラスルームでの担任と生徒との間のやりとりがいろいろ報じられているが、事実がどうかわかりませんが、仮に事実だったとしても、切り取り方として恣意的に感じる。
言葉の上のやり取りだけみると、常識の欠落した異常学級と見えてしまうが、実際はその時の雰囲気などによってもやりとりのニュアンスは違って見えてくると思う。むしろ、その時の状況や雰囲気次第によっては、一連のやりとりをいかようにでも解釈可能な気がする。それは少し言いすぎな気もするが。そういった恣意的な切り取り方を極端に進めると、「日頃、何度かある生徒が、死ねと言っていた言われていた、教師は黙認していた」となり、全くその時の状況を抜きにして、本当に事実かどうか確認するもも困難なことを取り上げて、それを見抜けなかった、黙認していた教師の資質に問題がある、となる。
多分そういった事を懸念して、「冗談交じりでも死ねとかはいっちゃいけないよとマメに指導をしていた」そのように担任の方はおっしゃっております。


もうひとつは、生徒の証言が一致しないし矛盾もしている部分もあるということ。、アンケートや証言を基にして事実関係を調べているが、そもそもその信頼の妥当性などはきちんと検討されているのだろうか。
アンケートや証言を聴取したのが事件後。ただでさえ目撃証言を安易に信用してはいけないし、
例えば、http://www.ted.com/talks/scott_fraser_the_problem_with_eyewitness_testimony.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%BF%E3%82%B9
リンク等については最下段を参照。




さらに通常の状態で客観的で物理的な同一の刺激を感知しても、認知の仕方が人によって違うのに、(錯視など、リンクは最下段参照)言語表現の解釈の仕方なんてファジーなものを、同じものを聞いていても一致するわけがない。ましてやショッキングな事件のあとの聴取。主観的なバイアスがかかっていて事実が捻じ曲げられている可能性もある。
そういうことをきちんと厳密に検討をしてほしい。きちんと問題をに向きあう為に。


本当に問題を改善しようとするなら、専門家に依頼して生徒1人1人の証言の信頼の妥当性を科学的に検討してもいいのではないかと思う。もちろん、生徒の気持ちなどへの配慮も必要だが、それはきちんと保護者や遺族、世間に対してきっちり説明してでもやるべきだと思う。その個別の事件の為だけではなく、学術的な意味としても問題を分析し、いじめを根絶するための一歩として。専門家委員会が設置される見たいだけど、どんな人が入るのか気になる。




目撃証言について
http://www.ted.com/talks/scott_fraser_the_problem_with_eyewitness_testimony.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%BF%E3%82%B9

http://www.amazon.co.jp/dp/4762823279



錯視について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88%E9%8C%AF%E8%A6%96




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