就職活動をしていたときに、一度振り返って確認をした。理由は主に三つあり、一点目が発想力を求められる点。二点目が論理の厳密性。三点目が、前の二つと完全に独立ではないが自分の『口喧嘩が弱かった』というコンプレックス。
今回は三つ目について、二点目と三点目について少し掘り下げてみる。
口喧嘩が弱かったというコンプレックスも嘘ではないが、もっと印象的なエピソードがあったことに最近気付いた。
小学生の頃、宇宙に興味があってよく地元の図書館で宇宙の本を読んでいた。その中で、土星の環を天体望遠鏡で観察する話が書いてあり、土星の環を観察すると紙より薄く見えると書いてあった。
ある日の給食で、いつも六人ほどの班をつくって食べていたのだが、その中で宇宙のことに話が及んだ。そこで、土星の環は紙より薄いと知識を披露した。ところが、同じ班に中学受験をするとても頭の良い子がいて、土星の環は小惑星からできているんだよ、紙より薄いわけがない、と突っ込みを入れられてしまった。向こうは特に恥をかかせたなどとも思っていないだろうが、私にとっては恥だった。反論しなかったのは、ごもっとも過ぎて反論できなかったのか、中学受験するその子がいうんだからそうなんだろうと受け入れてしまったのかは忘れた。
『自分の誤読』と『そこに書いてある事が事実かどうか』は別の事であり、先のエピソードなどは読んだ本にどのように書いてあったか正確には覚えたないのでおそらく『自分の誤読』なのであるが、そんな区別を当時はできるわけもなく、そのことがあってから本に書いてある事柄は本当のことなのか、と疑う心が芽生えたのは確かである。但し、なんとなく無意識ながらではあるので、何度もそこに引っかかり、今でも全く引っかからないわけではないのである。判断が難しい科学的神話(オオカミ少女の話や言語相対仮説など)から、極端な例でいえばいわゆるトンデモ話まで。
ちなみに、反論が難しいなと思うパターンがあって、それはもっともらしい(統計的な意味ではなく、一般的な意味で)根拠を用いて、科学っぽい説明を持ちだして主張されるパターン。そういうのは、それを科学事実ではない、ということを証明するには何を示したらいいのかすらわからない。
話が少し脱線したが、それが今になっても、なんとなく癖になっていてニュースなどをみても、貧弱な知識ながら、それは事実か、前後の文脈や背景から事実を適切に解釈しているか、フレーズの切り出し方は恣意的ではないか、もし反論があるとすればどのような反論が可能か、意見に偏りや先入観がないか、論理のギャップはないかなどと考えながら見てしますのです。だから、周りからはひねくれ者という風に言われることが多い私。