2014年5月8日木曜日

python3.0以降のprint文

pythonについて、つまづいていたことが解決したので、覚書の意味も含めて書いておこうと思う。

ことの発端は、AOJの問題を解いて練習していたときのこと。

最初のうちはサイトの中でコンパイルが通るかどうかだけで、正解不正解を判断していたのだが、それでは効率が悪いと思い、一度自分のPCでコンパイルをしてみて、そのうえで提出する方針に切り替えた。

切り替えて最初の問題。

以下のコードを実行しようとするにもsyntax errorがでる。

while true:
H,W = map(int,raw_input().split())
 if W==0 and H==0 :
    break

 print '#' * W + '\n'
 
 print ('#'+ '.'*(W-2)+ '#'+'\n')*(H-2)
 print '#'*W + '\n'

出てくるエラーはこれ。

print '#' * W + '\n
        ^

いろいろ原因を探るもわからず。

『初めてのpython 第3版』の文字列の章も見てみるが、特にprint文や文字列の扱いは間違っていないように見える。。。そんな感じで、行き詰っていた。

しかし、もっとよく調べてみると書いてあった。

ver3.0から仕様が変わったらしい。

「はじめに」の14ページからの「python3.0からの仕様変更について」の部分を順番に読んでいくと、

printはステートメントではなく関数になり機能が増える。print x, yではなくprint(x, y)と書くようになる。
と記述がある。

あるいは、本文の第10章[pythonのステートメント」218ページの脚注に

python 3.0では、printとexecはステートメントではなく関数になる予定です。
とある。

それを踏まえて、pythonインストール時についてきたマニュアルもみてみる。

マニュアルを開くには例えば以下の方法で開く。

  1. デスクトップのスタートボタンを開き、「すべてのプログラム」を表示すると、その中に「python x.x」のフォルダがある(自分はpython3.3だったので、python3.3というフォルダ)。

    その中の、「Python manuals」というファイルがある。

  2. あるいは、デスクトップのマイコンピュータのアイコン(自分はwindows7なので。XPとかの人はコンピュータというアイコン)を開き、C:のドライブを開き、その中の「Pythonxx」というフォルダを開き、その中の「Doc」フォルダを開き、その中の「pythonxxx.chm」というファイルを開く。

開いたら、画面の左側の「What's New in Python」の階層を開き、「What's New in Python3.0」をクリック。

少し画面を下にスクロールすると、「Print Is A Function」とという見出しがあり、その旨の記述がある。

ということで、print "Hello world" ではダメで、print("Hello world")と書くらしい。

2014年5月6日火曜日

東京巡り2

ゴールデンウィークのネタをもう一本。

休み中に、久しぶりに写真を撮りに散歩してきました。

まずは井の頭公園へ。







ここもじっくり歩いた事がなかったので、ゆっくりと何周かして、隅までみてみました。

公園の広場では、いろいろパフォーマンスをしている人もいました。

バイオリンの演奏をしている人がいたのですが、音程ははずしまくってるは、細かい音符の部分が雑だったり。。。

あの程度の実力でも、パフォーマンスしていいんだと思った。

最近は自分は練習できてないので、今演奏するのは厳しいが、多分練習すれば、あれよりは上手く弾けるし、自分の知り合いの方が遥かに上手い気がする。。。


ちなみにパフォーマンスをやるには、申請が必要で、オーディションもあるらしいです。




井の頭公園は午前中であとにし、午後は昭和記念公園へ。

かなり昔に一度行った記憶があるけど、しばらくいってなくて忘れてしまったので、どんなもんかと。

とはいっても、開園時間を調べていなかったので、閉園まで数時間になってしまったので、有料のエリアまでは入らずに、無料のエリアまで。

それにしても、地図をみる感じだと広さのイメージがわかないが、行ってみるとかなり広い。

無料のエリアでさえ、想像していたよりかなり広かったにも関わらず、有料のエリアはその4倍ぐらいはあったかも。もっとかな。

どんだけ広いんだよ。

天気も非常によかったので、広場のところでは、遊んでいたりくつろいでいる人がたくさん。

カップルで来ている人もたくさんいました。



井の頭公園にもカップルがたくさんいた。

井の頭公園や昭和記念公園にいたカップルをみていると、付き合うってことの意味が少しわかったような気がした。

付き合うというと、どこか目的に向かって行動する際に、一緒に連れ添うことを許し合える間柄になるということだと思っていた。

しかし、公園に来ていた彼ら彼女らは特に、なにか明確な目的があるわけではない。

シンプルに相手と一緒の時間を過ごしたいだけ。

そう思えることが好きっていうことではないだろうか。

そんな関係って憧れるな。そんな相手は自分にはいるだろうか。

というかそんな関係に至ることがない。そこに至るまで時間を意識的に時間をかけた事がないかもしれない。

そんな人を見つけられたらいいな。





東京巡り1


ゴールデンウィーク中ということもあり、昨日は山口から親戚が東京観光へ来ていたので、それに付き添いがてら、自分も東京観光していました。


まずは新橋からゆりかもめにのって青海のパレットタウンへ。

休日ということもあり、ゆりかもめはとても混んでいる。

みんなお台場へ行く人が多いようで、台場、お台場海浜公園あたりで一気に人がおりました。



青海は初めて降りる駅。もちろんパレットタウンも初めて。







中は結構広い。当たり前だけどまともに全部見てたら一日終わるわ!







そして、駅降りた時点から意外な写真の穴場スポットをみつけ、写真が止まらない。といっても、人を待たせてるので適当に切り上げ。
また、暇なときにこよう。





お昼を食べ、一通り見て回ったら、ここから永田町へ。

永田町から、銀座あたりまで、主要施設をみてまわります。



この辺は、東京に住んでいてもなかなか行く機会がないところなので、知らないところもあって、新鮮でした。

永田町界隈は、お台場界隈とは、笑ってしまうぐらい対照的に人がいない笑)

いるのは警備をしている人だけ。警備をしている人だけがやたらたくさんいた。

それから坂を下り、国会正面へ行き、国会前庭に寄り、桜田門へ。




そういえば、『相棒』のエンディングとかでよく散歩しているのはどのあたりなんだろう。

桜田門は初めて来た。いや来た事あるかもしれないけど、昔のことすぎて記憶にない。

テレビでよくカメラが回っているのはここからのアングルです。

ここからのアングルが一番恰好つきそうなのもうなづける。

それから、法務省や検察庁のあたりへいき、日比谷公園へ。

このあたりの位置関係を初めて知った。。。

日比谷公園から銀座へ行き、そこでちょっと休憩。

親戚はこのあと、歌舞伎を見に行くとのことだったので、ここでいったん別行動。



夜、また合流して食事をしました。



永田町、霞が関、皇居周辺は敷地面積が大きいから一通り回ろうとするだけで、かなり距離をあるくな。改めて思います。

でも、東京にいても知らないことがたくさんあるので、もう何回か行ってみようと思います。

2014年5月3日土曜日

『おおかみこどもの雨と雪』

先日、『おおかみこどもの雨と雪』をみました。

すごいいいお話でした。

今回みてみて初めて知ったのですが、話は、タイトルにもあるおおかみこどもの雪ちゃんが、親のどうやって育てられたかを語っていくという形式で進んでいくんですね。

しかも、母と父のなれそめのくだりは、かなり前半の方だけでまとまっているんですね。このあたり、とくにセリフもなくBGMと映像だけで進んでいくので、テンポがよくてよかったです。

その他、考えたことを書いてみようと思う。

おおかみと人間の両面性

母親である花は、雪と雨がおおかみこどもであることから、都会での生活に限界を感じ、田舎へ引っ越そうと考え始めます。

そんなとき、ふと、狼と人間どちらで生きていくか、こどもたちにたずねています。多分、その場では特に返事を期待して質問をしたわけではないと思いますが。

今回の場合は、狼と人間だったので、どちらか選ぶ必要があったような気もしますが、これが狼と人間ではない場合はどうでしょうか。例えば職業とか肩書きなどです。

自分は現在フリーターなので、大したことは言えないのですが、いろいろなビジネスの記事などをみていると、現代ではなにか職業や肩書によって枠でくくってしまうことがなにかリスクを伴っているというような話も目にします。

例えば、エンジニア兼デザイナー兼研究者とか。プログラマ兼プロジェクトマネージャ兼コンサルタントとか。自分はエンジニア方面に興味があるので、例が偏ってしまいましたが、その他例をあげるとするなら、例えば政治家兼弁護士とかいますよね。医者兼作家とか。医者にしたって、複数の専門をかけもちしている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

自分の尊敬している石井裕先生はこんなこともいっています。

今回は狼と人間だったので、両立というのは難しいので、どちらかを選ぶ必要がありました。いや、もしかしたら両立していく方法もあったのかもしれませんが、わかりません。

なぜ、難しいかといったら、人間界の側で狼と共に生活していくという常識がないし、狼人間なんていう存在がいることすら知らないからです。そんな状態のところに、ただの狼が入るだけでも混乱するのに、狼人間なんて入っていけるはずがありません。

今書いたように、共生ができないのは受け入れる側に、準備ができていないからです。心の準備ですね。

そういう意味では、もし自分がなにかを受け入れる側になったときに、なにか自分の中にない観念などを受け入れるときにも、安易に拒絶するのはよくないかなと戒めにも感じました。

不安や弱さについて

最終的には兄妹それぞれ別の道を歩むことになります。姉の雪は人間として、弟の雨は狼として。

幼い頃の様子が、雪は虫や獣を恐れずとても活発で、雨はその逆だったので、意外な結果。

小学校にあがってから、雨は授業も上の空で、徐々に学校へ行かなくなります。そのかわり山へ入り、狼と共に行動しいろいろ学び始めます。

学校に初めて登校するシーンにしろ、授業が上の空であることにしろ、初めから学校に興味がなかったような気がします。

なんで興味がなかったんんだろうか、と考えてみると、それは不安だったからではないかと思います。

先ほど書いたように、雨は、雪とは対照的に虫や獣などは苦手としていたし活動的ではありませんでした。

そういう意味で、「自分は人間であると同時に狼でもあるのに、どうしてこうなんだろう」と不安を抱えていたのではないかと思います。それは狼という側面としての自分が居場所を上手く獲得できないことへの不安です。狼としての自分という一つの側面ではありますが、どうやって生きていくかという死活問題だったから、学校の授業には興味がなかったのだと思います。

では雪は不安はなかったのでしょうか。

雪は学校で、転校生から、なんとなく他の人と様子が違う、と言われてしまいます。それから、転校生をなんとなく避け始めるのですが、ある日追いつめられた拍子に一瞬狼となって、転校生を怪我させてしまいます。

ここで、親が呼び出しをされます。帰り際、今まで親から狼の姿を出さないためのおまじない(魔法ではなく、自己暗示みたいなもの)を教えてもらって、狼の姿を出さないようにしてきたのに、そのおまじないが効かなかったと泣いてしまいます。

このシーン結構重要だと思うのですよ。

雪は雪で不安を抱えていたのだと思います。

なぜ泣いてしまったのかというと、今まで人間の世界で居場所を獲得しようと努力してきたのに、狼の姿を見られてしまったことと、相手に怪我をさせてしまったことで、居場所がなくなるのではないかと不安になったからではないでしょうか。

雪は幼いころは非常に活発だったわけですが、では雪は狼としての不安は克服し、次の段階として人間の世界での不安に向き合っていたのでしょうか。

それとも狼と人間のステージの違いという問題ではなく、雪と雨のそれぞれの志向の問題でしょうか。

そのあたりはよくわかりません。

その他

その他に印象に残っているシーンがあります。

まず、雨が「先生」と呼ぶ狼が、もうすぐ死んでしまうから、自分が代わりにならなければならないといったとき。母の花が「雨はまだ10歳で、狼でいったら一人前かもしれないけど、人間だと。。。」と言葉が淀んだシーン。

花は狼としても人間としてもどちらの選択肢も尊重して育ててきたつもりではいたのでしょう。でも、言葉が淀んだ瞬間に、無意識に人間を中心にして扱っている自分に気づいて言葉を継げなくなったのでしょう。

これもなかなか耳の痛い話で、どの選択肢も尊重してはいるつもりでも、無意識にどれか一つの選択肢、あるいは視点で相手を枠に嵌めてしまっていることも結構あるような気がします。気をつけなければいけないなと思いました。

次に、大雨がきて、学校に生徒それぞれの親が迎えにきて下校するシーン。

花も家から迎えに行こうとするのだが、一方で家にいた雨は山のことを心配して、山に向かってしまう。そこで、雪を迎えにいくのではなく、雨を追って山のなかにはいっていきます。

これは、雪も迎えに行かなくてはいけないのだけれど、雪は待っている人なので、どこかへ行ってしまう心配はない。しかし一方で、雨はこのまま二度と会えないような気がしたから、雨を追うことにしたのでしょう。

次に、学校にて、学校の先生が全員帰宅したか見回りに来たシーン。

転校生草平と雪は教室の机の下に隠れるのですが、見回りが去ったあとに、雪の「なんで隠れたの?」という質問に対し、返事はしない。

これはなんで隠れたんだろうか。そしてなぜ返事をしなかったのだろうか。雪と一緒にいたかったから?

そして雪の「狼であることの告白」。それに対し、「最初から知っていた」と草平。

なんだろう。こういう決定的な秘密だとか、あるいはコンプレックスを抱えていても、それを含めて受け入れる、受け入れてくれるっていう関係は憧れるな。こういうシーンは泣ける。